榊原温泉の歴史(12)温泉復興で榊原は・・・
村あげての榊原温泉復興祭により、榊原村はずいぶん元気になりました。
村民の誇り。それに電車に乗るにも立派な道路ができバスが開通しました。
電話の開通も温泉復興で出来たもので、当時としては夢のような出来事でした。
温泉旅館はにぎわい、たくさんの芸者さんもそろって、加速度的な発展でありました。
写真は榊原温泉のバスターミナル。
西に走るバスは温泉バス、東へは巴バスが走りました。
情報発信には、当時は軍の施設の誘致が手っ取り早く、京都陸軍病院の療養所を作り、温泉リハビリなどの設備も整いました。
一挙に榊原温泉の名が広まりましたが、だんだんと戦争が激しくなり、療養所に収容できない兵隊さんを各旅館の客室に収容させるなど、温泉の環境が大きく変わってきました。
ほしがりません勝つまでは、の時代です。

そして終戦後これを土台に再出発、現在の榊原温泉になったというお話でした。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-15 07:28 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(11)温泉復興で活気づく
この榊原温泉復興は江戸時代の湯治場を復元させたような活気でした。
温泉復興祭を機に、お風呂でにぎわっていた榊原新温泉が宿泊施設を設け、榊原館(現在の湯元榊原館)という旅館になり、入り込み客の受け入れも万全・・・と思いきや、まだ足りない。
追っかけ神湯館の別館を太鼓橋の少し上流に建て、清安荘と名を付けて、旅館3軒で観光・榊原温泉が始まりました。

写真は、湯の瀬川に架かる太鼓橋から下流を眺めた物で、長く続く家族風呂、その向こうに神湯館の建物が見えます。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-14 07:12 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(10)温泉復興ばんばんざい
昭和11年(1936)12月20日榊原村では「榊原温泉復興祭」が盛大に挙行され、学校の生徒たたちは提灯と小旗を手に「♪温泉復興ばんばんざい」と歌いながら祝い、榊原の西の集落から東の集落、約9キロの道のりを歩き、村中が沸きました。
田中氏は湯治場があった場所から保壽園を移転させ、「神湯館」という旅館を建てました。
その神湯館の大浴場には射山神社の背後、源泉の沸く場所に、京都金閣寺を模したシンボル的な建物、また家族風呂には川沿いに細長く三十三間堂を模して、川には太鼓橋を架けることで観光スポットが出来上がりました。

写真はシンボルとなった大浴場と手前は家族風呂。大浴場の屋根には鳳凰が見えますが、その鳳凰は湯ノ瀬の屋根に移されています。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-13 07:34 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(9)温泉バスも準備できた
榊原温泉に誘客する手段は、関西方面のお客様を近鉄大阪線(当時は参急電鉄)の榊原温泉口駅(当時は佐田駅)からとしましたが、当時は道もなく自動車が通う道路を造らなければなりません。
村には資金もなく、道路を始め復興にかかる経費の大半は田中善助氏の私財に頼ったと伝えられます。
観光開発事業に取り組んでこられた田中氏の手腕は確かなもので、佐田駅と温泉を結ぶ道路建設を完成させ「温泉バス」を開通させました。
着々と準備は進みます。

写真は新しく開かれた道路を走る温泉バス。
田中氏はこの造成で自然破壊をしたお詫びにと道路沿いに桜を植えられ、後に桜の名所となりました。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-12 07:16 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(8)温泉を使った村おこし始まる
榊原新温泉の評判を耳にされ湯治に来られたのが田中善助氏でした。
田中氏は上野町長(現在は伊賀上野市)を歴任され、県内の観光事業に取り組んでおられました。
伊賀上野から名張への鉄道、鳥羽の日和山にケーブルカーを完成させ、現在も大きな観光資源になっている名張の青蓮寺ダムを造られた大の事業家。(写真右下)
湯治に来られている田中氏にぜひ、榊原の村おこしに力を貸してほしい。
泉質のよい温泉と、村の熱心な願いが田中氏の心を動かしました。
いよいよ温泉復興である。

写真左は、新温泉の湧出で昔からの泉源に影響が出てきたので、安全策としてさらに少し下流をボーリング、そこからの配管工事です。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-11 07:19 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(7)榊原に新しい温泉が
大正の終わりか、昭和の初め頃と聞きますが、貝石山の麓を流れる湯の瀬川の少し下流で亜炭の発掘が行われました。
目指す亜炭はなかなか出ず、出るのは温泉ばかりでした。
自然湧出していた泉源の300メートルほど下流でボーリングしたのですから当然でしょうね。
その業者はあきらめ引き上げました。
その跡を地元の前田為之助氏が引き取り、「榊原新温泉」という日帰り浴場を開業されました。

写真は当時の面影を残す貴重な一枚です。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-10 07:29 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(6)湯治場の跡は保壽園に
明治になって湯治場は村に移管され時代は大きく変わり湯治客は減少し、明治27年(1894)に管理などを任されていた山川時次郎氏が個人で温泉会所を開業されました。
民営の第1号の旅館ができ、たいへんなにぎわいを見せたと聞いております。
もちろん温泉は湯治場で使われてきた泉源です。
この頃はすべて自然湧出でした。
県内に鉄道が開通すると人の流れも変わり、この温泉会所も入り込み客が減ってきたそうです。

写真は昭和初期の温泉会所で、白い棒のすぐそばに枯れ木のようなのが立っていますが、これが現在きれいな花を咲かせる糸桜(しだれ)です。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-09 07:22 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(5)湯治場の湯所は神社の裏
今朝は寒ささらに更新、氷点下2.5度C。

榊原湯之山図を見ますと温泉大明神(射山神社)の背後に「湯所」と表示されています。
現在はその場所に「湯元跡」の表示があります。
この写真はその位置に建物の一部が写っています。
おそらくこの場所で湯治が行われていたのでしょう。
右には榊原川を挟んで貝石山の崖が見えます。
昭和の初め頃までは現在ある湯香里橋もなく、少し下流に板橋が架かっていましたので、そこから撮されたものと思われます。
湯治場の名残が写った一枚です。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-08 07:07 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(4)湯治場は参宮客などでにぎわう
今日は二十四節気の大雪。
今朝は窓の外の寒暖計が氷点下1度を指し、初氷が張りました。
さて

この絵図は江戸時代中期に出された「榊原温泉来由記」の中に掲載されている「榊原湯之山図」です。
図の中ほどが湯治場で左端に「温泉大明神」が祀られ、右側(東)には100を超える宿舎が建ち並んでいます。
この湯治場の一角(右端)には現在も残る観音堂や芭蕉反古塚が書き込まれています。

時代は移り榊原温泉は津の藤堂藩が支配するようになり、正徳3年(1713)8月の日付で藩からの立て札「條々」も記録されています。
来由記の「行程方角大略」には京、大坂、奈良、彦根、名古屋などが記載され、各方面からの湯治客でにぎわったことを伺わせます。
天皇の神宮も庶民に開放されるや、全国から伊勢へ伊勢へとお伊勢参りが盛んになり、榊原温泉は公家の湯ごり場から庶民の湯治場に移り変わりました。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-07 07:20 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(3)榊原氏による湯治場
ここは全国の榊原さんのふるさと。
戦国時代の三河の武将・仁木義長が伊勢(国)の守護を務め、その五代末裔の利長がこの地に住んで姓に地名である「榊原」を充てたのが榊原氏の誕生といわれます。

榊原氏は早くから射山神社を守護神とし、射山神社の棟札によると、天文19年(1550)12月13日榊原信濃守興経(おきつね)が社殿を再興し、氏山御前湯之大明神と呼んでいます。

三河に渡った榊原氏は徳川家康の四天王として名をあげていますが、この地の残った榊原氏は湯之大明神を一角に入れて、大きな湯治場を造営しています。
天正16年(1588)3月15日と記録されています。

写真の山は城山で、榊原信濃守興経の古城跡です。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-06 07:22 | 吾作のものしり箱