榊原にもある三十三箇所
近畿2府4県と岐阜県に点在する西国三十三箇所の観音霊場の地方版(?)が一志郡にも設定されていました。
いまでは一志郡もなくなり、津市と松阪市に分かれてしまいましたが、久居元町の賢明寺を振り出しに順拝略図が掲げられた札所が見られます。
榊原にも宝林寺、誓願寺、専性寺、一之坂観音堂の4カ寺があります。
お寺の紹介は日を改めてしますね。
最近でも朱印帳を手に参拝に来られる方々を見かけますよ。

写真は札所になっている寺に掲げられている「一志郡内西國三拾三所順拝略図」です。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-20 07:32 | 吾作
談義穴
榊原のいちばん西に位置するお寺「海泉寺」の裏の谷を登り切った辺りに談義穴という洞があります。
ここは寛政の一揆といわれる県下最大の百姓一揆を企てた場所とされています。
今年は津藩主藤堂高虎の入府400年といわれ、市挙げてイベントが繰り広げられています。が・・・
高虎から九代目の藩主高嶷(たかさと)のとき、藩の財政を立て直すために均田制などの政策が取られることになりました。
当時の谷杣・川口・八対野の三村の庄屋がこの談義穴で藩の政策は受け入れられないとして、藩に請願書を提出しました。
でもその誓願は聞き入れられず、寛政8年(1796)12月26日ついに一揆は起こりました。

この岩穴をのぞくと、師走の冷たい風が襟元を通りすぎます。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-19 09:47 | 吾作
榊原温泉もすっかり冬色
しばらく榊原温泉の歴史を続けましたので
その間に、榊原の景色もすっかり変わりました。
14回、2週間でしたからね。
きれいだった紅葉もいまは枯れ色。
ふさふさと風になびかせていたススキの穂も
すっかりやせ細り、いかにも冬です。
せわしなく過ぎていく師走
明るいニュースが少ない中で
ノーベル賞やスケートの話題が
なによりもの救いでしたね。
今年もあとわずかです。
霜の朝、大きく息を吸って吐く。
白い息に勇気をもらって
さあ、今日も元気に・・・

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-18 07:17 | 吾作
榊原温泉の歴史(資料)榊原館のパンフレットから
榊原館は「榊原東温泉」としていますが、これはすぐ西に神湯館が「榊原本温泉」と表示したことから「新」では面白くなく「東」としたのではないでしょうか。
パンフレットを広げると近隣の観光地なども取り入れた絵地図になっています。
青山高原と阿漕の海岸が目立っています。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-17 07:23 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(資料)神湯館/清安荘のパンフレット
神湯館は開業するや連日の入り込み客で別館清安荘を増設しました。
写真は当時のパンフレットと丸形の「えふ」です。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-16 07:07 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(12)温泉復興で榊原は・・・
村あげての榊原温泉復興祭により、榊原村はずいぶん元気になりました。
村民の誇り。それに電車に乗るにも立派な道路ができバスが開通しました。
電話の開通も温泉復興で出来たもので、当時としては夢のような出来事でした。
温泉旅館はにぎわい、たくさんの芸者さんもそろって、加速度的な発展でありました。
写真は榊原温泉のバスターミナル。
西に走るバスは温泉バス、東へは巴バスが走りました。
情報発信には、当時は軍の施設の誘致が手っ取り早く、京都陸軍病院の療養所を作り、温泉リハビリなどの設備も整いました。
一挙に榊原温泉の名が広まりましたが、だんだんと戦争が激しくなり、療養所に収容できない兵隊さんを各旅館の客室に収容させるなど、温泉の環境が大きく変わってきました。
ほしがりません勝つまでは、の時代です。

そして終戦後これを土台に再出発、現在の榊原温泉になったというお話でした。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-15 07:28 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(11)温泉復興で活気づく
この榊原温泉復興は江戸時代の湯治場を復元させたような活気でした。
温泉復興祭を機に、お風呂でにぎわっていた榊原新温泉が宿泊施設を設け、榊原館(現在の湯元榊原館)という旅館になり、入り込み客の受け入れも万全・・・と思いきや、まだ足りない。
追っかけ神湯館の別館を太鼓橋の少し上流に建て、清安荘と名を付けて、旅館3軒で観光・榊原温泉が始まりました。

写真は、湯の瀬川に架かる太鼓橋から下流を眺めた物で、長く続く家族風呂、その向こうに神湯館の建物が見えます。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-14 07:12 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(10)温泉復興ばんばんざい
昭和11年(1936)12月20日榊原村では「榊原温泉復興祭」が盛大に挙行され、学校の生徒たたちは提灯と小旗を手に「♪温泉復興ばんばんざい」と歌いながら祝い、榊原の西の集落から東の集落、約9キロの道のりを歩き、村中が沸きました。
田中氏は湯治場があった場所から保壽園を移転させ、「神湯館」という旅館を建てました。
その神湯館の大浴場には射山神社の背後、源泉の沸く場所に、京都金閣寺を模したシンボル的な建物、また家族風呂には川沿いに細長く三十三間堂を模して、川には太鼓橋を架けることで観光スポットが出来上がりました。

写真はシンボルとなった大浴場と手前は家族風呂。大浴場の屋根には鳳凰が見えますが、その鳳凰は湯ノ瀬の屋根に移されています。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-13 07:34 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(9)温泉バスも準備できた
榊原温泉に誘客する手段は、関西方面のお客様を近鉄大阪線(当時は参急電鉄)の榊原温泉口駅(当時は佐田駅)からとしましたが、当時は道もなく自動車が通う道路を造らなければなりません。
村には資金もなく、道路を始め復興にかかる経費の大半は田中善助氏の私財に頼ったと伝えられます。
観光開発事業に取り組んでこられた田中氏の手腕は確かなもので、佐田駅と温泉を結ぶ道路建設を完成させ「温泉バス」を開通させました。
着々と準備は進みます。

写真は新しく開かれた道路を走る温泉バス。
田中氏はこの造成で自然破壊をしたお詫びにと道路沿いに桜を植えられ、後に桜の名所となりました。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-12 07:16 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(8)温泉を使った村おこし始まる
榊原新温泉の評判を耳にされ湯治に来られたのが田中善助氏でした。
田中氏は上野町長(現在は伊賀上野市)を歴任され、県内の観光事業に取り組んでおられました。
伊賀上野から名張への鉄道、鳥羽の日和山にケーブルカーを完成させ、現在も大きな観光資源になっている名張の青蓮寺ダムを造られた大の事業家。(写真右下)
湯治に来られている田中氏にぜひ、榊原の村おこしに力を貸してほしい。
泉質のよい温泉と、村の熱心な願いが田中氏の心を動かしました。
いよいよ温泉復興である。

写真左は、新温泉の湧出で昔からの泉源に影響が出てきたので、安全策としてさらに少し下流をボーリング、そこからの配管工事です。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-11 07:19 | 吾作のものしり箱