梅が熟し始めました。
実にきれいです。
これぐらい熟するといい香りを放ちます。
2月の梅の花も楽しめますが
この時期に青梅がだんだんと熟して黄色くなる
葉っぱとのコントラストもよく
つい食べてみたくなります。
青梅は毒がありますが
すっかり熟すると、そのままでも食べられます。
でも収穫には遅いですね。
梅の木は榊原温泉周辺にたくさん見られますよ。

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# by sakakibara-onsen | 2009-06-11 07:17 | 吾作
白いおひげの半峰さん3
十年を夜昼わけて五年ずつ 酒と煙草で更に半ぶん   半峰食山人六十五歳

半峰さんは昭和36年に67歳でその生涯を閉じられました。
本当は67歳は半分だったのかも。
昭和の初めころ上京して半峰さん宅で居候していた久居の(故)西田馨さんからお聞きした話では...
全国の中学校を回り、エッチングの指導する半峰さんの助手をしていたころだったそうですが、画商をやりながらも自分の絵は売ったこともなく、絵は距離を置いて眺めているが、もっと身近にみれないものか。
と、よくつぶやいておられたという。
それが疎開先の榊原で「はがき絵」を始められ、もしかすると半峰さんの求める「もっと身近」な絵が「はがき絵」だったのかもしれません。
また東京へ戻られなかったのは、東京にいると日本がみれなくと思われたのではないでしょうか。
こんな狂歌がありました。

日本一の富士山 登ってみればただの石ころ

眺めていてこそ、富士山の美しさが見える。
東京(日本)を眺めるには榊原がよかったのではないでしょうか。
美人の奥さんとも別れ、多くの仲間とも別れてでも榊原がよかった。
榊原ばんざいです。
写真は東京で活躍されておられたころの、美男子の半峰さんです。

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# by sakakibara-onsen | 2009-06-10 06:41 | 吾作のものしり箱
白いおひげの半峰さん2
銅像を建ててこわして政治するエライおかたの胸に勲章   半峰食山人

半峰さんは郵便はがきをキャンバスに絵を描く傍ら、たくさんの狂歌も残されています。
それも泉のごとく・・・
疎開で榊原に来られて、すっかり八知山を気に入られたようすです。
戦後東京の町も落ち着き何度も何度も東京の仲間が戻るようにと誘いがありました。
半峰さんの家に黒塗りの高級自動車が止まってる。
なっとやろ?
地元のものは不思議でならない。
半峰さんは白いひげを顎から伸ばし何知らん顔。
飲んべえの半峰さんだ。
東京よりすばらしいのが榊原だったようです。
絵を描くと、とてつもなくうまい。
地元に人は何者かも分からず、子供たちとも仲良しでした。
写真ははがき絵です。

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# by sakakibara-onsen | 2009-06-09 07:42 | 吾作のものしり箱
白いおひげの半峰さん1
b0145296_8262789.jpg上簇は脱糞ずみの蚕ばかり 人間どもは残糞で逝く   半峰
 (上簇=成熟した蚕を、繭を作らせるため、蔟(まぶし)に移し入れること)

これは西田半峰画伯が晩年過ごされた八知山(白雲荘の近く)にこの狂歌が刻まれ、ひっそりと建立されています。
ひっそりといっても建立に関わった人たちはすごいんですよ。
碑の裏面には武者小路実篤、原安三郎のほか梅原龍三郎など数々の著名人の名が友人として刻まれています。
さて半峰さんですが(西田画伯と言わなければならないのですが、榊原では半峰さんです。ごめんなさい)
大正3年の文部省美術展(現在の日展)入選を機に画伯の道を歩み、わが国で画商第1号として美術界の名乗りを上げ、中国で学んだエッチングの技法を日本で普及させた偉いお方です。
その半峰さんが昭和20年の東京大空襲で八知山に疎開されました。
榊原での半峰さんのことは明日のブログとします。

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# by sakakibara-onsen | 2009-06-08 08:28 | 吾作のものしり箱
あじさい
雨にあじさいはよく似合いますが
からっと晴れた日のあじさいも初夏を感じさせます。
榊原温泉周辺ではあじさいが歓迎し始めていますよ。
農面道路を東から上ってくると
グリーン道路交差点を過ぎたあたりから道路沿いに
温泉入り口の日帰り温泉「湯の瀬」の東一面のほか
あちらこちらで花を咲かせます。
「榊原温泉あじさい祭り」は13日土曜日から
ホームページ「お知らせ」をご覧下さい。
昼間のあじさい夜のほたる
こんな季節になってきましたね。

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# by sakakibara-onsen | 2009-06-07 07:50 | 吾作
神宮へ献湯
神宮の「湯ごり」に使われた榊原温泉が「ななくりの湯」として
都人に愛されて1500年。
清少納言枕草子や数多くの和歌にも「ななくりの湯」が取り上げられ
ずいぶん多くの人に知られるようになりました。
そのおかげで途切れることもなく現在に至っていることに感謝して
榊原温泉では射山神社、同氏子の協力で献湯祭を実施することができました。

さて・・・これから出発です。



献湯すませました

朝、地元の温泉の神を祀る射山神社で御祓いをすませ
氏子と一日氏子になって参加された観光客のみなさんと共に出発しました。
外宮に到着して境内を厳かに歩き榊原温泉を運びます。
神楽殿でお待ちの外宮神職に同行している神子(小学生)が温泉を手渡し
温泉の奉納を終えると全員で正式参拝と御神楽をさせていただきました。
その後一行は内宮に参拝してすべてを終了しました。
写真は境内を行く献湯の行列と神楽殿での献湯です。

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こんなに大勢の参加でした

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# by sakakibara-onsen | 2009-06-06 06:25 | 吾作
榊原の風呂屋
榊原の温泉「ななくりの湯」は1500年前から「湯ごり」に使われ
400年前からは「湯治場」として使われてきました。
榊原の里人たちは「宮の湯」として
正月16日の湯始め行事を済ませてから温泉を汲みに行ったと伝えられます。
でも浴槽で首まで浸かって「いい湯だね~」と言ったかどうだか・・・w
家庭にあった五右衛門風呂は100年前ぐらいからだったようです。
それまでは垣内(かいと=隣組)で集まって蒸し風呂で汗を流していました。
そのために榊原各地に「風呂」の名がついた場所がたくさんあります。
川のある近くに石を積み、周囲をむしろで囲って中で火を焚きます。
石が焼けてきたら水をかけて蒸気を出します。
こんな蒸し風呂の中ではよもやま話だったのでしょうね。
写真上は五味之側垣内の風呂組が祀っていた石仏で
写真したは中ノ山の垣内が風呂場の傍に祀った風呂屋地蔵です。

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# by sakakibara-onsen | 2009-06-05 06:48 | 吾作のものしり箱
”速報”ホタル情報その3
今夜は場所を変えました。
今、ホタルの多いところには「ホタルの里観賞地」看板がありますので
それを目印にお越し下さい。
今が最盛期、写真は8時ごろです。

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# by sakakibara-onsen | 2009-06-04 20:50 | 吾作
清少納言がお出迎え
ごぞんじですか?
榊原温泉の入り口となる日帰り温泉「湯の瀬」前の交差点に
「湯は ななくりの湯」の文字と十二単の清少納言をあしらった
歓迎のモニュメントがあります。
これは平成13年(2001)に建てられたもので
裏面には「枕草子千年を記念して」と刻まれています。
榊原温泉が初めて書物に紹介されたのが枕草子でした。
枕草子は長保3年(1001)にまとめられたので
それから千年の年に榊原温泉で千年祭が実施されました。
そのときの記念碑となっています。
磨かれた黒御影石のため雨で濡れれば読めなくなります。
晴れて乾くと清少納言の十二単が浮かびます。

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# by sakakibara-onsen | 2009-06-04 07:35 | 吾作
”速報”ホタル情報その2
今夜は少し増えました。
もう少し谷の方へ行くとたくさん出ていましたが
イノシシの領域になるので要注意。
写真は8時30分のものです。(ISO:1600 f:2.0 10秒)

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# by sakakibara-onsen | 2009-06-03 20:53 | 吾作