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カテゴリ:吾作のものしり箱( 153 )
令和初めての愛隣祭
元号も今月になって新しく「令和」になり、もうすっかり馴染んできましたね。
令和から数えると随分といくつかの元号をさかのぼるのですが、明治の終わりごろから大正にかけて、当時の榊原村は奥山(笠取山)一帯に植林をしました。
昭和になって小学校や中学校の校舎、それにプール建設には植林された山の木が活かされ、村はたいへん潤いました。
当時手がけた村長の功績をたたえ、造林翁頌徳碑が射山神社境内に建てられて毎年この時期に「愛林祭」が実施され、現在も残る森林の管理に汗を流されています。
写真は榊原の植林が風車の並ぶ稜線までと造林翁頌徳碑、射山神社境内での愛林祭の模様です。

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by sakakibara-onsen | 2019-05-17 06:00 | 吾作のものしり箱
1円玉2〜3枚で一泊できました
去る4日に創業百周年を迎えられた湯元榊原舘は、宿泊もお値打ちでのスタートでした。
榊原新温泉という日帰り温泉から始まった現在の湯元榊原舘は榊原東温泉榊原舘という名で、昭和8年に旅館を開業されています。
昭和11年の榊原温泉復興祭の後に発行されたパンフレットを見ると、一泊二食付きで2円からだったようです。
ちなみに神湯館は3円からとなっています。
神湯館の料金表を見てください、芸妓花代が1時間1円35銭です。
芸妓さんと今のコンパニオンさんとは違いますけど、ご参考に。
戦時中は旅館の客室を陸軍療養所の静養中の兵隊さんに開放され、榊原舘の前の当時の写真と、昔の新温泉は現在「湯の庄」の名で日帰り温泉が提供されています。

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by sakakibara-onsen | 2019-04-15 06:00 | 吾作のものしり箱
榊原温泉史にまたひとつのシワ刻む
写真は日帰り温泉「湯の庄」と、桜の向こうに旅館清少納言の建物が見えます。
湯の庄は今から100年前の今日 4月4日、その場所で日帰り温泉の「榊原新温泉」が誕生し、昭和の初めには旅館として榊原舘の名で親しまれてきました。
100年経った湯元榊原舘では今日、創立記念日としての企画もされています。
古い写真はその当時の新温泉の建物と入口上部の拡大図、それに昭和13年発行のパンフレットにある前田虹映筆の鳥瞰図です。(クリックしてください)
伊勢神宮の湯ごり(みそぎ)から江戸時代の湯治場と、切れ目なく続いてきた榊原温泉の、また歴史のひとつのシワになるのでしょう。
時代も平成から令和になるように。

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by sakakibara-onsen | 2019-04-04 06:00 | 吾作のものしり箱
とんどの火に乗って帰る年神さま
昨日は榊原の「とんど」でした。
とんどとは左義長、ん?「どんど」じゃないの。
でも榊原では「とんど」です。
1枚目の写真、ここに「どんど」と「とんど」があります。
水がドドド・・・と落ちるのを「どんど」と呼んでいるので、火祭りは「とんど」と呼んで区別しているのです。
昔、榊原の各地で行われていた「とんど」は、ほとんどの地域で7日の「山の神」に合併(?)してしまったのです。
現在は「中ノ山」垣内だけになりました。
14日の午後4時、八幡さまにお参りをして点火です。
元旦にお越しいただいた年神さまが、このとんどの火に乗ってお帰りになると、翌15日は人間のお正月「小正月」を迎え、小豆がゆで祝うのです。
そんな昔から続く地域の行事、いつまでも残したいですね。

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by sakakibara-onsen | 2019-01-15 06:00 | 吾作のものしり箱
夜明け前から火に集う
1月7日、今朝は榊原の各地で山の神行事が行われています。
まだ夜が明けない暗いころから山の神境内で火を燃やし、それを合図に山の神講の仲間が集まります。
そして正月2日に集められた木の枝で作ったカギを善の綱(大しめ縄)に掛けて
「やーまのかーみ よーいしょ」と声を掛けながら綱が切れるまで引っ張ります。
綱が切れると、山の神さんが出てござる。
そこでみんなで餅を焼いて、山の神さんと一緒に初春を祝うのです。
まだまだ榊原には多くの集落で続いている、古い古い行事です。

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by sakakibara-onsen | 2019-01-07 06:00 | 吾作のものしり箱
今はない西仙寺跡
榊原の西仙寺は榊原城があった南北朝にさかのぼる時代に、時宗のお寺として開基されたようです。
300年ほど前に発行された「榊原湯の山図」には「一ノ鳥居跡」の南西すぐ近くにありました。 
当時は西仙寺の夕暮れの晩鐘が、榊原の名所「湯之山八景」の一つでもあったようです。
ここから250年ほど前に鐘楼と共に旅館清少納言東隣に移されましたが、寺守りさんがいなくなり数年前に名古屋の時宗中本山へ仏像と梵鐘は引き取られていきました。
スイセンの咲く参道から境内に入ると鐘楼の台と、秀全和尚、玄梁和尚などの住職の墓石が並び、当寺経塚や立派な宝篋印塔が残されていました。

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by sakakibara-onsen | 2018-12-29 06:00 | 吾作のものしり箱
村が元気になったこの日
昭和11年(1936)12月20日に榊原村を挙げて榊原温泉復興祭が行われました。
あれから82年経ちます。
温泉で村おこし、村では何をやっらよいのやら。
伊賀上野の田中善助翁のお力を借りて見事に復興祭は成功しました。
善助翁には神湯館の経営をお願いし、その頃のパンフレットがあります。
開通仕立ての温泉バスや旅館の料金表もあります。
当時の芸妓花代は税込みの1万倍でも、今のコンパニオンは来てくれません。
よき時代だったのですね。

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by sakakibara-onsen | 2018-12-20 06:00 | 吾作のものしり箱
ここには榊原がいっぱい
農免道路から榊原に入ると信号の三叉路には6つも「榊原」がお出向かい。
榊原町だから当然ですが、さらに古くは「ななくり」だったのです。
戸木、森、庄田、中村、一色、大鳥、榊原と現在の7つの町名一帯を「ななくり」と呼んでいたのです。
榊原の村名が出来るまでは、七久里の上村と呼んでいたようです。
たくさん榊が自生していて、それが伊勢神宮に使われるようになってから、ここは榊原だと地名になったと伝わります。
当然バス停に榊原、湯の瀬川の正式名が榊原川、そして旅館の名にも榊原舘。
忘れてはならない、榊原の地名が人に名前になったのもこの地です。
林性寺には榊原家のお墓もあります。

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by sakakibara-onsen | 2018-11-30 06:00 | 吾作のものしり箱
一ノ鳥居跡への古道がきれいに整備
100年ほど前に現在のバス道が射山神社境内を横切って県道が開通しました。
それまでは林性寺の前から一ノ鳥居跡を通り、山のふもと(幼稚園あたり)を西に延びていました。
当時の道路は、今では昔話にもならない、忘れられた古道になっていました。
その一ノ鳥居跡のとなりに榊原信濃守塚跡の碑が建立され、自治会長さんらのお世話で、その古道はきれいに整備されました。
入口は林性寺前の公民館裏から延びた細い道です。
吾作ならこんな案内看板を立てないな。

<古道入口に>写真1枚目
射山神社一ノ鳥居跡 榊原信濃守塚跡の碑 入口
この道路は明治の終わりごろまで主要な道路でした

<碑の側には>写真3枚目
射山神社 一ノ鳥居跡 (左)
 正面の森が射山神社で背後の貝石山が御神体でした
 参道は確認できませんが、ここを往来する人たちは
 この場所で立ち止り軽く頭を下げて参拝をしました

榊原信濃守塚跡 (右)
 信濃守は榊原城主であり南北朝時代には南朝に属し
 伊勢国司北畠氏の北の出城として活躍しました
 榊原氏は仁木義長五代末裔の利長のとき村の地名の
 榊原を姓にして榊原氏を誕生させました
 そのためこの地が榊原氏(家)の発祥とされています

いかがでしょう、ちょっとのぞいてみてください。

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by sakakibara-onsen | 2018-11-20 06:00 | 吾作のものしり箱
土坂橋と平成橋
榊原の三区と四区を分ける橋、現在は平成橋を通っていますが、この橋は平成2年に小学校の前からの新道に架けられたのです。
渡ったところが旧道の土坂橋に合流、土坂橋の新橋みたいです。
土坂橋とはたぶん、堂坂橋だったのでしょう「どさかはし」と呼びます。
100年ほど前の旧道は、現在の新道とほぼ同じ所を通っているのです。
この橋の東詰あたりにお寺があったらしく、その堂から大川に下りる坂道だから「どうさか」、が「どさか」となったようです。
ときに、太平洋戦争が終わって10年目に米軍が日本本土に第1警戒群として笠取山レーダー基地を布引山(青山高原)の最高峰笠取山に設置しました。
たくさんのアメリカ人が榊原にキャンプを設営して、笠取山への道路を造り基地作りが始まったのですが、大型の重機や自動車など木造の土坂橋ではもたない。
そこでコンクリートの土坂橋に架け替えられたのです。
昭和30年の架換と刻まれています。
土坂橋は我が国の国防と関係のある橋なのです。

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by sakakibara-onsen | 2018-09-08 06:00 | 吾作のものしり箱