カテゴリ:吾作のものしり箱( 144 )
土坂橋と平成橋
榊原の三区と四区を分ける橋、現在は平成橋を通っていますが、この橋は平成2年に小学校の前からの新道に架けられたのです。
渡ったところが旧道の土坂橋に合流、土坂橋の新橋みたいです。
土坂橋とはたぶん、堂坂橋だったのでしょう「どさかはし」と呼びます。
100年ほど前の旧道は、現在の新道とほぼ同じ所を通っているのです。
この橋の東詰あたりにお寺があったらしく、その堂から大川に下りる坂道だから「どうさか」、が「どさか」となったようです。
ときに、太平洋戦争が終わって10年目に米軍が日本本土に第1警戒群として笠取山レーダー基地を布引山(青山高原)の最高峰笠取山に設置しました。
たくさんのアメリカ人が榊原にキャンプを設営して、笠取山への道路を造り基地作りが始まったのですが、大型の重機や自動車など木造の土坂橋ではもたない。
そこでコンクリートの土坂橋に架け替えられたのです。
昭和30年の架換と刻まれています。
土坂橋は我が国の国防と関係のある橋なのです。

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by sakakibara-onsen | 2018-09-08 06:00 | 吾作のものしり箱
榊原川に三つの沈下橋
沈下橋(ちんかばし)とは沈み橋、冠水橋など呼び名はあるようですが昔は「板橋」でしたね。
川に長い橋板を架けて、ゆさゆさと渡るのです。
大水が出るとその橋板が流れるので、鎖や太い針金で流さないように工夫をしていました。
それでもなくなるときがあるので、それぞれの橋を調達する場所がありました。
それが「橋山」です、その山で橋板になるような木を伐ってくるのです。
その後、絶対に流れないようコンクリートの橋になり、橋山も必要なくなりました。
大水のときは橋の上を水が流れる沈下橋になったのです。土木用語としては潜水橋または潜り橋が正式な名称だそうです。
写真は中ノ山2つとドジョ川の3カ所です。

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by sakakibara-onsen | 2018-09-07 06:00 | 吾作のものしり箱
信濃守が榊原城主でした
榊原の地名は、この地に自生する「榊」を神宮で使われたことから「榊原」と呼ばれるようになったと伝わっています。
そして時代は下り南北朝のころ、仁木氏がこの地に城を築き、姓を知名に合わせて「榊原氏」が誕生しました。
三河(愛知県)に渡った榊原氏からは徳川四天王の康政が誕生し、榊原の名を天下にとどろかせました。
地元に残る榊原氏は、武家官位である「信濃守」が与えられ、初代榊原城主が榊原信濃守興経(しなののかみおきつね)で、市指定の文化財「射山神社棟札」や榊原城縄張図などに「信濃守」が確認されます。
興経から少し後の藤三郎が死去のとき、城から戌亥(北西)の方角に埋葬し林性寺を菩提寺として開基しています。
林性寺西側の墓地には藤三郎とされる墓石と、少し離れてその末裔「きしゑ」さんの墓石があり、地元の榊原姓はなくなりました。

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by sakakibara-onsen | 2018-08-31 06:00 | 吾作のものしり箱
信濃守の塚跡に碑ができました
朝から外にいるだけで暑い・・・
榊原幼稚園の東に射山神社の「一の鳥居跡」がありますが、昨日の朝すでに暑い中、大きな石が運ばれて見る見る碑が建ちました。
刻まれた文字は「榊原信濃守塚跡」です。
榊原信濃守とは、仁木氏がこの地に城を構え、姓も村の名をとって榊原氏を名乗った初代の興経公です。
古地図を見ると「榊原信濃守塚」があったようですが、経年劣化で朽ちてしまったのでしょう。
その跡も確認できません。
そこで、あっただろう辺りに「跡」として後世に残しておこうと、郷土を想う人たちが組成した地域団体で建立したものです。
全国の榊原さんのここが初代、またご案内させていただきましょう。

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by sakakibara-onsen | 2018-07-13 06:00 | 吾作のものしり箱
林性寺は榊原氏の菩提寺
猫が描かれている涅槃図で有名な榊原の林性寺は榊原氏の菩提寺です。
榊原温泉ふるさと案内人の会で榊原の中心部を案内してもらうと、射山神社と林性寺がよく案内されています。
ちょっと案内人の会が使っているガイド資料をお借りしました。
どうぞご参考に。

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by sakakibara-onsen | 2018-05-24 06:00 | 吾作のものしり箱
紀元二千六百年記念の碑
昭和15年(1940)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った記念行事が国の行事として盛大に行われました。
榊原村(町)でも賑やかだったようです。
こんな碑が榊原温泉病院の向かいに見ることが出来ます。
「皇紀二千六百年記念
 第二区民一同(横)
 水利□□を守りましょう(裏)」と刻まれています。

奉祝國民歌「紀元二千六百年」
 金鵄(きんし)輝く日本の 
 榮(はえ)ある光身にうけて
 今こそ祝へ この朝(あした) 
 紀元は二千六百年
 あゝ 一億の胸はなる

「金鵄」とは古事記とか日本書紀に出てくる“金色のトビ”のこと、神武天皇の東征で敵の眼をくらませ勝利に導いたという伝説の鳥のことです。

その替え歌
「金鵄」上がって15銭
 栄えある「光」30銭
 今こそ来たぜ この値上げ
 紀元は二千六百年
 あゝ 一億の民は泣く

ここでの「金鵄」「光」は当時の煙草の銘柄です。
ちなみに今年は紀元2678年です。
苦しいのは、いつの時代も同じということですね。
またガソリンの値が上がりました。

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by sakakibara-onsen | 2018-05-17 06:00 | 吾作のものしり箱
射山神社は神代の時代から
世の中の人はすつれど千早振る 神にまかせて住む榊原

榊原の温泉は貝石山のふもとに神代の時代から湧いていた清い温泉でした。
天皇の先祖、アマテラスさまを祀る神宮を伊勢の地に鎮座させて、参宮の前の潔斎(湯ごり)を伊勢に足を踏み入れたこの地の温泉で行われていたのです。
そんな大事な温泉を守るために、温泉の神さまを祀ったお宮さんが射山神社だったのです。
「射山」は元々「湯山」だったのでしょうね。
写真は旧道にある「式内射山神社」と刻まれた一の鳥居跡の石柱です。
田んぼの向こうに神社の森、その背後に貝石山がそびえます。
貝石山も古くは射山(湯山)で、射山神社のご神体でした。
近くで貝石山を眺めると神様がいるみたい。

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by sakakibara-onsen | 2018-05-16 06:00 | 吾作のものしり箱
射山神社に御鏡が輝いています
かけまくもかしこき・・・
申し上げるのも畏れ多いことですが、旧本殿に保存されていた御鏡(みかがみ)が拝殿正面にお姿を表されました。
神社の起源は定かではありませんが、伊勢神宮へお参りの前に湯垢離(温泉でお清め=みそぎ)をされていたころですから、1500年は有に越えていると思われます。
その当時は温泉の神さま、オオナムチノミコトとスクナヒコナノミコトが祭神とされていたようですが、江戸時代に分かることは別宮四社が加わっています。
さらに明治43年に榊原村内すべての神社が合祀されて村社射山神社は現在に至っています。
この御鏡には合祀された記念に奉納されたことが裏面に刻まれております。
拝殿から拝むことは出来ますが、裏面までは見ることが出来ませんので、宮司さんの許可を得て写真で紹介させて頂きます。
かしこみかしこみももうす・・・

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by sakakibara-onsen | 2018-04-30 06:00 | 吾作のものしり箱
白寿を迎えた湯元榊原舘
榊原温泉の老舗旅館、湯元榊原舘は創業99周年を迎えられ、創立記念日の昨夜はロビーでイベントが開催されました。
写真は創業当時のお風呂屋さん。
古代から湧き続けていた源泉より少し下流に、大正年間に湧きだした温泉だったので「榊原新温泉」とも呼ばれていました。
その後、村挙げての榊原温泉復興祭が昭和11年に行われ、これを機に「榊原舘」と改名し、温泉旅館となりました。
当時の旅館パンフレットには一泊二食で2円からとなっています。
そして夜景の写真は白寿を迎えた現在の湯元榊原舘です。
地元の和太鼓グループ「榊原湯の瀬太鼓」が賑やかに演奏されると、ロビーには入れ替わり立ち替わり延べ100人余のお客さんが集まられ、中にはイタリアやイギリスからのお客様もいらっしゃいました。
初めて和太鼓をたたく人、初めてお餅をつく人、ついたお餅が振る舞われる和やかな中、夜のとばりがおりていきます。
榊原温泉の貴重な歴史です。

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by sakakibara-onsen | 2018-04-05 06:00 | 吾作のものしり箱
里の人を守ってきた地蔵さん
榊原の五区に里垣内があって、その西に上山(かみやま)垣内があります。
いまは上山から里に流れる谷杣川に沿って自動車が通れる道があり、それまでの山を越える旧道はほとんど忘れられています。
昔は上山に行くには、その旧道を通るのですが、その道沿いに岩に刻まれた地蔵さんがあります。
こんな仏さんを磨崖仏(まがいぶつ)というのですが、榊原で確認されているのはこれ一つです。
隣の垣内に行くにも山を越えなければなりません。
危険が伴います。
だからここを通る人たちを、地蔵さんが守ってくださったのでしょう。
今も、ときどきお花が供えられています。

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by sakakibara-onsen | 2018-03-13 06:00 | 吾作のものしり箱