カテゴリ:吾作のものしり箱( 150 )
とんどの火に乗って帰る年神さま
昨日は榊原の「とんど」でした。
とんどとは左義長、ん?「どんど」じゃないの。
でも榊原では「とんど」です。
1枚目の写真、ここに「どんど」と「とんど」があります。
水がドドド・・・と落ちるのを「どんど」と呼んでいるので、火祭りは「とんど」と呼んで区別しているのです。
昔、榊原の各地で行われていた「とんど」は、ほとんどの地域で7日の「山の神」に合併(?)してしまったのです。
現在は「中ノ山」垣内だけになりました。
14日の午後4時、八幡さまにお参りをして点火です。
元旦にお越しいただいた年神さまが、このとんどの火に乗ってお帰りになると、翌15日は人間のお正月「小正月」を迎え、小豆がゆで祝うのです。
そんな昔から続く地域の行事、いつまでも残したいですね。

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by sakakibara-onsen | 2019-01-15 06:00 | 吾作のものしり箱
夜明け前から火に集う
1月7日、今朝は榊原の各地で山の神行事が行われています。
まだ夜が明けない暗いころから山の神境内で火を燃やし、それを合図に山の神講の仲間が集まります。
そして正月2日に集められた木の枝で作ったカギを善の綱(大しめ縄)に掛けて
「やーまのかーみ よーいしょ」と声を掛けながら綱が切れるまで引っ張ります。
綱が切れると、山の神さんが出てござる。
そこでみんなで餅を焼いて、山の神さんと一緒に初春を祝うのです。
まだまだ榊原には多くの集落で続いている、古い古い行事です。

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by sakakibara-onsen | 2019-01-07 06:00 | 吾作のものしり箱
今はない西仙寺跡
榊原の西仙寺は榊原城があった南北朝にさかのぼる時代に、時宗のお寺として開基されたようです。
300年ほど前に発行された「榊原湯の山図」には「一ノ鳥居跡」の南西すぐ近くにありました。 
当時は西仙寺の夕暮れの晩鐘が、榊原の名所「湯之山八景」の一つでもあったようです。
ここから250年ほど前に鐘楼と共に旅館清少納言東隣に移されましたが、寺守りさんがいなくなり数年前に名古屋の時宗中本山へ仏像と梵鐘は引き取られていきました。
スイセンの咲く参道から境内に入ると鐘楼の台と、秀全和尚、玄梁和尚などの住職の墓石が並び、当寺経塚や立派な宝篋印塔が残されていました。

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by sakakibara-onsen | 2018-12-29 06:00 | 吾作のものしり箱
村が元気になったこの日
昭和11年(1936)12月20日に榊原村を挙げて榊原温泉復興祭が行われました。
あれから82年経ちます。
温泉で村おこし、村では何をやっらよいのやら。
伊賀上野の田中善助翁のお力を借りて見事に復興祭は成功しました。
善助翁には神湯館の経営をお願いし、その頃のパンフレットがあります。
開通仕立ての温泉バスや旅館の料金表もあります。
当時の芸妓花代は税込みの1万倍でも、今のコンパニオンは来てくれません。
よき時代だったのですね。

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by sakakibara-onsen | 2018-12-20 06:00 | 吾作のものしり箱
ここには榊原がいっぱい
農免道路から榊原に入ると信号の三叉路には6つも「榊原」がお出向かい。
榊原町だから当然ですが、さらに古くは「ななくり」だったのです。
戸木、森、庄田、中村、一色、大鳥、榊原と現在の7つの町名一帯を「ななくり」と呼んでいたのです。
榊原の村名が出来るまでは、七久里の上村と呼んでいたようです。
たくさん榊が自生していて、それが伊勢神宮に使われるようになってから、ここは榊原だと地名になったと伝わります。
当然バス停に榊原、湯の瀬川の正式名が榊原川、そして旅館の名にも榊原舘。
忘れてはならない、榊原の地名が人に名前になったのもこの地です。
林性寺には榊原家のお墓もあります。

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by sakakibara-onsen | 2018-11-30 06:00 | 吾作のものしり箱
一ノ鳥居跡への古道がきれいに整備
100年ほど前に現在のバス道が射山神社境内を横切って県道が開通しました。
それまでは林性寺の前から一ノ鳥居跡を通り、山のふもと(幼稚園あたり)を西に延びていました。
当時の道路は、今では昔話にもならない、忘れられた古道になっていました。
その一ノ鳥居跡のとなりに榊原信濃守塚跡の碑が建立され、自治会長さんらのお世話で、その古道はきれいに整備されました。
入口は林性寺前の公民館裏から延びた細い道です。
吾作ならこんな案内看板を立てないな。

<古道入口に>写真1枚目
射山神社一ノ鳥居跡 榊原信濃守塚跡の碑 入口
この道路は明治の終わりごろまで主要な道路でした

<碑の側には>写真3枚目
射山神社 一ノ鳥居跡 (左)
 正面の森が射山神社で背後の貝石山が御神体でした
 参道は確認できませんが、ここを往来する人たちは
 この場所で立ち止り軽く頭を下げて参拝をしました

榊原信濃守塚跡 (右)
 信濃守は榊原城主であり南北朝時代には南朝に属し
 伊勢国司北畠氏の北の出城として活躍しました
 榊原氏は仁木義長五代末裔の利長のとき村の地名の
 榊原を姓にして榊原氏を誕生させました
 そのためこの地が榊原氏(家)の発祥とされています

いかがでしょう、ちょっとのぞいてみてください。

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by sakakibara-onsen | 2018-11-20 06:00 | 吾作のものしり箱
土坂橋と平成橋
榊原の三区と四区を分ける橋、現在は平成橋を通っていますが、この橋は平成2年に小学校の前からの新道に架けられたのです。
渡ったところが旧道の土坂橋に合流、土坂橋の新橋みたいです。
土坂橋とはたぶん、堂坂橋だったのでしょう「どさかはし」と呼びます。
100年ほど前の旧道は、現在の新道とほぼ同じ所を通っているのです。
この橋の東詰あたりにお寺があったらしく、その堂から大川に下りる坂道だから「どうさか」、が「どさか」となったようです。
ときに、太平洋戦争が終わって10年目に米軍が日本本土に第1警戒群として笠取山レーダー基地を布引山(青山高原)の最高峰笠取山に設置しました。
たくさんのアメリカ人が榊原にキャンプを設営して、笠取山への道路を造り基地作りが始まったのですが、大型の重機や自動車など木造の土坂橋ではもたない。
そこでコンクリートの土坂橋に架け替えられたのです。
昭和30年の架換と刻まれています。
土坂橋は我が国の国防と関係のある橋なのです。

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by sakakibara-onsen | 2018-09-08 06:00 | 吾作のものしり箱
榊原川に三つの沈下橋
沈下橋(ちんかばし)とは沈み橋、冠水橋など呼び名はあるようですが昔は「板橋」でしたね。
川に長い橋板を架けて、ゆさゆさと渡るのです。
大水が出るとその橋板が流れるので、鎖や太い針金で流さないように工夫をしていました。
それでもなくなるときがあるので、それぞれの橋を調達する場所がありました。
それが「橋山」です、その山で橋板になるような木を伐ってくるのです。
その後、絶対に流れないようコンクリートの橋になり、橋山も必要なくなりました。
大水のときは橋の上を水が流れる沈下橋になったのです。土木用語としては潜水橋または潜り橋が正式な名称だそうです。
写真は中ノ山2つとドジョ川の3カ所です。

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by sakakibara-onsen | 2018-09-07 06:00 | 吾作のものしり箱
信濃守が榊原城主でした
榊原の地名は、この地に自生する「榊」を神宮で使われたことから「榊原」と呼ばれるようになったと伝わっています。
そして時代は下り南北朝のころ、仁木氏がこの地に城を築き、姓を知名に合わせて「榊原氏」が誕生しました。
三河(愛知県)に渡った榊原氏からは徳川四天王の康政が誕生し、榊原の名を天下にとどろかせました。
地元に残る榊原氏は、武家官位である「信濃守」が与えられ、初代榊原城主が榊原信濃守興経(しなののかみおきつね)で、市指定の文化財「射山神社棟札」や榊原城縄張図などに「信濃守」が確認されます。
興経から少し後の藤三郎が死去のとき、城から戌亥(北西)の方角に埋葬し林性寺を菩提寺として開基しています。
林性寺西側の墓地には藤三郎とされる墓石と、少し離れてその末裔「きしゑ」さんの墓石があり、地元の榊原姓はなくなりました。

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by sakakibara-onsen | 2018-08-31 06:00 | 吾作のものしり箱
信濃守の塚跡に碑ができました
朝から外にいるだけで暑い・・・
榊原幼稚園の東に射山神社の「一の鳥居跡」がありますが、昨日の朝すでに暑い中、大きな石が運ばれて見る見る碑が建ちました。
刻まれた文字は「榊原信濃守塚跡」です。
榊原信濃守とは、仁木氏がこの地に城を構え、姓も村の名をとって榊原氏を名乗った初代の興経公です。
古地図を見ると「榊原信濃守塚」があったようですが、経年劣化で朽ちてしまったのでしょう。
その跡も確認できません。
そこで、あっただろう辺りに「跡」として後世に残しておこうと、郷土を想う人たちが組成した地域団体で建立したものです。
全国の榊原さんのここが初代、またご案内させていただきましょう。

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by sakakibara-onsen | 2018-07-13 06:00 | 吾作のものしり箱