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あの山は笠取じゃ
昔々、榊原に伝わる神代の時代の昔話です。

ヤマトタケルは第12代景行天皇の子として誕生しました。
幼名を小碓命(おうすのみこと)といい、16才のとき父・景行天皇は九州の熊襲(くまそ)を平定(へいてい=敵や賊を討ち平らげる)するように命じました。
熊襲征伐した小碓命は倭建命(ヤマトタケル)と名乗るようになりました。

ヤマトタケルは休む間もなく父の命を受け、次は東国の平定へ向かうことになりました。

東征の出発に当たり、ヤマトタケルは伊勢にいる叔母の倭比売(ヤマトヒメ)に会いに行くのですが、ヤマトヒメは斎宮(いつきのみや)のトップである斎王です。
そしてヤマトタケルはアマテラスをお祀(まつ)りする神宮へ行くのですから、伊勢国に入った「ななくりの湯」で禊(みそぎ)をして神宮に向かいます。

ヤマトタケルは景行天皇の宮(日代宮:ひしろのみや-奈良県桜井市)から東に進み、伊賀を越え布引の山(青山高原)を越えると伊勢国。
この古道は榊原の一番西の集落「カリキド」に「やまみち・いがごえ」の道標が建つように、倭の都から伊勢への主要道路でした。

ヤマトタケルは神宮に向かうときの慣わし通り、布引の山を越え「カリキド」で伊勢に入り「ななくりの湯」で湯ごりをするのですが、ここで不覚を取ったのです。

熊襲(くまそ)を征伐したヤマトタケルとて敵がいるはずもない布引山で、伊勢の海を望みながら笠の紐を緩め、ほっと汗をぬぐっていた一瞬の隙を突かれたのです。
西から吹き上げる風に、かぶっていた笠を吹き飛ばされたのです。
あっという間に笠は山中に消えていきました。

笠を取られたヤマトタケルは布引山を下り、集落に出ました。
地蔵堂の広場でたき火をしていた地元の衆に出会い
「やあ皆の衆、ここは伊勢でごじゃるか」と声をかけると
『何が ごじゃるか やて?ここはカリキドやぞえ』
「そうじゃったのう、仮の木戸、伊勢の入り口じゃ」
ちょっと休ませてもらうぞ、とヤマトタケルは輪の中に割り込みました。
『みかけん人やけど、どっからおいなしたんや』と聞かれると
「ヤマトじゃ」
『やまと村かいな』
「そうでない、ずーっと西の大和国じゃ」
『へー、そんに遠いとっから笠もかぶらんとござったんかい』
「かぶっとったさ、でも山の上で取られたんじゃ」
『奥山には天狗さんがござるからのう』
「そうでないんじゃ、風じゃ、風」
『立っとらんとまあここへ座らんせ。で、風と斬り合いでもさんしたんかいな』
「いや、恥ずかしい話じゃが、笠の紐を緩めたとたん、風がぴゅーと吹いて笠を取られてしもうたんじゃ。あの山は笠取じゃ」
『ははは、あんた強そうやけど風には勝てんわ、のう、みんな』
「人なら何人かかってきても負けたことはない、つい先日、熊襲(くまそ)をやっつけて九州から帰ってきたとこじゃ」
『へー強いんや。よっしゃ、奥山のてっぺんを笠取と呼ぼまいか』

「ああ長居させてもろうた、帰るぞ」
『あんた、なっちゅう人や?名前おせーて』
「ヤマト・タケルじゃ、世話になったのう」
『タケルちゃんか、また来てえ』と別れました。
それから布引山の北側の山を「笠取山」と呼ぶようになったそうです。

ヤマトタケルはカリキドの地蔵堂から1里半ほど下ったところに湧く、「ななくりの湯」で湯ごりをして神宮に向かわれたそうです。

写真は笠取山を下ったところのカリキドの地蔵堂と道標、また笠取山から見下ろした榊原温泉、ここが湯垢離の地です。

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by sakakibara-onsen | 2022-01-03 06:00 | 吾作のものしり箱
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