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お話 "神ノ木が茂る榊原"
昔々、榊にまつわる神代の時代お話です。

ここは伊勢の国一志郡の北に帯状に広がる「ななくりの里」、その西は布引山が南北に延び伊賀と伊勢を分けています。
伊勢の国、五十鈴川沿いに聖地を求め、天皇の祖先アマテラスオオミカミを神宮としてお祀りしたのはヤマトヒメでした。神宮とは伊勢神宮のことですね。
大和の国にある都からは遠く、伊勢の神宮近くに斎宮を置き、斎王が天皇の代わりに神宮に仕えました。
斎宮(さいくう)とは斎王の住居と斎王に仕えた役人・女官らがいる斎宮寮とで構成されています。
斎王は天皇が即位すると、卜定(ぼくじょう)といって亀の甲羅や動物の骨などを使った占によって選んだそうで、未婚の内親王(天皇の皇女=娘さん)から選ばれ、天皇の代わりに伊勢神宮に仕えたのです。
そのお住まいになる斎宮は第2の都とも言われるほど大きな町が出来ていました。現在の明和町ですね。
斎王は天皇が譲位したり崩御したりすると、その任が解かれ都に戻るのです。
継体天皇が即位されたのは1513年ほど昔、西暦507年で、当然斎王も交代します。
継体天皇の皇女、荳角媛(ササゲヒメ)が斎王になられ、斎宮に向かわれました。
都から伊勢の神宮への道は、ヤマトタケルも通っている笠取山越えで伊勢に入るのです。
荳角媛も「ああ、ここが伊勢の入り口でごじゃるかえ」と、カリキドで足を止められ「榊」が群生するつやつやした葉をなでながら「これが神の木なのじゃ」と、お付きの人たちに教えられていました。
さらに道を下り湯山に湧く「ななくりの湯」(現在の榊原温泉ですよ)にお着きになり、射山神社にお詣りをして、温泉で禊(みそぎ)をされました。
神宮に向かわれるときの慣わしとしての禊ぎ、湯ごりです。
温泉で禊ぎすることを湯ごりと言いますね。湯で垢(あか)を離すと書きますよ。ここ榊原は湯ごりの地として開かれた温泉です。
荳角媛の若い未婚の肌は「ななくりの湯」で身もお肌もますます綺麗になって、斎宮に入られました。

さてそれから・・・
斎宮には神宮に使う「榊」がない。
あってもカリキドや湯ごりをした辺りに自生する、つやつやの葉をいっぱい付けた「榊」は見つかりません。
そこで斎王に仕える役人の物部(もののべ)伊勢小田連(いせおだむらじ)に使いを出させ、この土地まで「榊」を採りに来られました。
持てるだけたくさん榊の枝を採り、それを射山神社境内にある湧き水に一夜浸して、翌朝、御所車に乗せ神宮に向かいました。
この御所車が後(のち)の榊原氏がこの地で誕生されたとき、家紋にその車紋が使われ榊原源氏車が誕生したそうですよ。
荳角媛はたいへん満足され、それ以来毎年この地で榊を調達されてきました。
古い昔は土地の地名もなく、ただ「ななくり」とは聞かされていたけど、「ななくり」の西側だから「ななくり上村=かみむら」と呼んでいました。
でも斎宮や神宮では「榊が原」と呼んでいたようで、この地名が地元に伝わってきたのは500年も600年も経ってからのことでした。
ですから清少納言は枕草子で、榊原の湯とは言わず「ななくりの湯」という古い温泉名を使ったのでしょう。
神ノ木が茂る榊原、いい村の名ですね。

このお話は地元に伝わる地名伝説です。
伊勢の神宮と深い関係のある榊原です。
この伝説を後世に伝えようと、毎年2月12日にこの地の「榊」を伊勢の神宮に奉納しています。

 写真:カリキドの地蔵堂と伊賀越え道標、榊の井長命水、神宮へ榊の奉納

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by sakakibara-onsen | 2020-06-20 06:00 | 吾作
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