江戸時代の榊原温泉のセキュリティー
伊勢神宮の禊ぎとして、湯垢離(ゆごり)で開かれた榊原温泉も室町時代の終わりごろ、この地に誕生した榊原氏は伊勢神宮の大宮司を兼ね、射山神社を取り囲み防犯に考慮した大きな温泉会所を造営しました。
おそらくお公家さんたち、宮家の伊勢参宮の湯垢離を兼ねた宿舎を目的にされたのでしょう。
入口は東門ひとつとし、周囲をがっちりと囲んで不審物の侵入を防いでいます。
地元に残る「榊原湯山図」(1枚目の写真)でも確認できますが、上越市の榊神社の榊原村の図(2枚目の写真)を見ると完全に温泉会所を囲っています。
この温泉会所は江戸時代になってお伊勢参りが賑わい、榊原温泉で湯治をする旅人が多かったようです。
新潟県の赤倉温泉は越後高田藩の藩営だったようですが、榊原温泉も津藩の藩営の湯治場でした。
おそらく、おそらくですよ、藩営の湯治場は赤倉温泉と榊原温泉の2か所のみのようです。
でも榊原温泉は京の人たちをお迎えするために堅固なセキュリティーが求められたのでしょうね。

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by sakakibara-onsen | 2016-11-12 06:00 | 吾作のものしり箱
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