昨日のブログで榊原温泉はずいぶん古くから役立っていたようですね。
都人は伊勢の日出づる国に神宮を祀りました。
天照大神を祭神として最高のお詣りをしたことでしょう。
大和の国を出て伊賀の国、そして伊勢の国に入ります。
道中、一服したところを「仮の○○」で名が残っています。
伊勢国の入口榊原にカリキド(仮木戸)の地名が残るし、さらに下って雲出川の手前にカリノミヤ(山辺行宮)が物部神社に残っており地元では斎王の森と呼んでいます。
ただこの時代はまだ文字で記録される以前のことですから文献はありません。
順番に写真でつづってみますと、まず潔斎をする温泉(湯垢離)湯元跡。
この温泉は昭和の初めごろまでずーっと使われていました。

まだ地名がナナクリで榊原になっていないときです。
ななくりの湯は都人の神宮参拝には欠かすことの出来なかった湯垢離の場所でした。
伊賀を越え伊勢榊原にはいると山道には榊が生い茂り、それが目に止まったのでしょう。
継体天皇の皇女ササゲヒメノミコトが斎王になられたとき、物部氏に使いを出して榊をお採りになった。
その榊を射山神社から湧く泉に一夜浸して神宮に運ばれました。
その泉を長命水と呼び、地名も榊原になったと伝わるのが1,500年昔のことです。
写真は手水所になっている長命水と湧き出る洞穴(鳥居の奥)です。


都人は、この温泉は神宮と共に護らなければと温泉の神(オオナムチノミコト、スクナヒコナノミコト)を祭神とし、貝石山を御神体とした湯山神社(後に射山神社となる)を祀ったのでしょう。
現在は神社境内に神殿を置き貝石山は奥宮さまと呼ばれています。
写真は湯の瀬川の対岸にそびえる貝石山です。

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