榊原のいちばん西に位置するお寺「海泉寺」の裏の谷を登り切った辺りに談義穴という洞があります。
ここは寛政の一揆といわれる県下最大の百姓一揆を企てた場所とされています。
今年は津藩主藤堂高虎の入府400年といわれ、市挙げてイベントが繰り広げられています。が・・・
高虎から九代目の藩主高嶷(たかさと)のとき、藩の財政を立て直すために均田制などの政策が取られることになりました。
当時の谷杣・川口・八対野の三村の庄屋がこの談義穴で藩の政策は受け入れられないとして、藩に請願書を提出しました。
でもその誓願は聞き入れられず、寛政8年(1796)12月26日ついに一揆は起こりました。
この岩穴をのぞくと、師走の冷たい風が襟元を通りすぎます。