榊原温泉の歴史(5)湯治場の湯所は神社の裏
今朝は寒ささらに更新、氷点下2.5度C。

榊原湯之山図を見ますと温泉大明神(射山神社)の背後に「湯所」と表示されています。
現在はその場所に「湯元跡」の表示があります。
この写真はその位置に建物の一部が写っています。
おそらくこの場所で湯治が行われていたのでしょう。
右には榊原川を挟んで貝石山の崖が見えます。
昭和の初め頃までは現在ある湯香里橋もなく、少し下流に板橋が架かっていましたので、そこから撮されたものと思われます。
湯治場の名残が写った一枚です。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-08 07:07 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(4)湯治場は参宮客などでにぎわう
今日は二十四節気の大雪。
今朝は窓の外の寒暖計が氷点下1度を指し、初氷が張りました。
さて

この絵図は江戸時代中期に出された「榊原温泉来由記」の中に掲載されている「榊原湯之山図」です。
図の中ほどが湯治場で左端に「温泉大明神」が祀られ、右側(東)には100を超える宿舎が建ち並んでいます。
この湯治場の一角(右端)には現在も残る観音堂や芭蕉反古塚が書き込まれています。

時代は移り榊原温泉は津の藤堂藩が支配するようになり、正徳3年(1713)8月の日付で藩からの立て札「條々」も記録されています。
来由記の「行程方角大略」には京、大坂、奈良、彦根、名古屋などが記載され、各方面からの湯治客でにぎわったことを伺わせます。
天皇の神宮も庶民に開放されるや、全国から伊勢へ伊勢へとお伊勢参りが盛んになり、榊原温泉は公家の湯ごり場から庶民の湯治場に移り変わりました。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-07 07:20 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(3)榊原氏による湯治場
ここは全国の榊原さんのふるさと。
戦国時代の三河の武将・仁木義長が伊勢(国)の守護を務め、その五代末裔の利長がこの地に住んで姓に地名である「榊原」を充てたのが榊原氏の誕生といわれます。

榊原氏は早くから射山神社を守護神とし、射山神社の棟札によると、天文19年(1550)12月13日榊原信濃守興経(おきつね)が社殿を再興し、氏山御前湯之大明神と呼んでいます。

三河に渡った榊原氏は徳川家康の四天王として名をあげていますが、この地の残った榊原氏は湯之大明神を一角に入れて、大きな湯治場を造営しています。
天正16年(1588)3月15日と記録されています。

写真の山は城山で、榊原信濃守興経の古城跡です。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-06 07:22 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(2)枕草子
清少納言枕草子に「湯は、ななくりの湯」があり、「ななくりの湯」とは榊原温泉を指すと注釈が付いています。
この枕草子の他は清少納言について、地元に関わるものは残されていませんが、第一段「春はあけぼのようよう白くなりゆく山際は・・・」この四季は、まるで榊原温泉の自然を表現しているではありませんか。

榊原の圓浄寺には清少納言の供養塔(写真)が建立されています。そこには
「平安朝女流文学者 清少納言女史 供養宝塔」
と刻まれています。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-05 07:20 | 吾作のものしり箱
榊原温泉の歴史(1)湯ごりの地
しばらく榊原温泉の沿革を続けてみたいと思います。
では、う〜んと昔から・・・

継体天皇の皇女・荳角媛命(ササギノヒメミコ)が斎王になられたとき、温泉の神を祀る射山神社境内から湧く長命水に榊を浸し、伊勢の神宮の祭祀に供されたということですから、1500年前のことです。
おそらく湯垢離(ゆごり)のために立ち寄っていたことから、榊に目がとまったものと考えられます。
また湯垢離を続けるためにも温泉を護らなければならない。神社も湯垢離のために祀られ、里人に管理を任されてきたのでしょう。
ここは湯垢離の地(写真)ですから、お伊勢さまの歴史とも関係がありそうです。
そうすると温泉の歴史はもう少し古くなりそうですね。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-04 07:18 | 吾作のものしり箱
糸さくらブランドのスイーツを検討
榊原温泉女将の会「糸さくら」で年度の初めから取り組んできた地元の食材、榊原の古代米を使ったスイーツを業者らが入って具体的な話し合いがもたれました。
和菓子としては赤米を使った餅菓子。
洋菓子は赤米のクッキーと紫黒米のフロランタンです。
これからパッケージなど検討して、商品化を目指しています。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-03 17:04 | 吾作
下校
榊原小学校の児童数は77人です。
でも元気です。
いい子たちです。

朝は白い息を吐きながら
ランドセルが歩いているような
可愛い低学年。
高学年の頼もしい背中を見ながら
学校に通います。

帰りは学年によって下校時間は変わります。
高学年を頼りには出来ません。
高学年の授業は長い
家路に着くころはもう薄暗い。
ときどきは鹿さんも出迎えてくれます。
がんばれ。

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-02 15:31 | 吾作
中ノ山 向かいのお稲荷さん
中ノ山バス停から榊原川を挟んで南の山
センガンジヤマ(誓願寺山)のふもとになりますが
中ノ山の人たちが祀るお稲荷さん(写真)があります。
冬になると思い出す話に、こんなのがあります。
昔の暮らしが伝わってきます。

雪の降る寒い夜は、ほったくの稲荷さんから
向かいの稲荷さんへ通う狐が、くずやの低い軒下を
「きんが冷えるに古綿たもれ、スココンコン スココンコン」
と鳴いて通うた。
寒い北風が簀掻(すがき)のあわいを押し上げて
筵(むしろ)のあわいから身を刺す。
「おまえも寒かろうがわしも寒い、古綿がようあろに
 せんべ蒲団のたしもないのに、まん辛抱しゃあれ」
まっ暗がりの家の中から狐に話している。
「おまえが鳴くと、わしらもよけ寒いがや」
「スココンコン、スココンコン」
狐の鳴き声がだんだん遠くなる。
「いまごろ久保の橋を渡っとるじゃろが・・・」

(話)「郷土の昔ばなし」より
(注)久保の橋=榊原川に架かる沈み橋

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# by sakakibara-onsen | 2008-12-01 07:22 | 吾作
昔は遊び場だったがなー
紅葉の写真ではないですが
吾作の子供のころは、こんなところで遊んでました。
山の中で駆け回ってもいたけど
川、それに橋や道。
田舎には遊園地などはありませんから
榊原の空間はすべてが遊び場でした。

川はいつごろからか、危険な場所に指定され
子供を自然から遠ざけてきた。

なかなかよりを戻すことはできませんが
こんな風景を眺めて懐かしんでます。
榊原には古き時代のものがたくさん残っています。
この写真の中だけでも
魚釣りや水浴び、木登りにかけっこが浮かびます。
それと、榊原だけでしょうね
河原のあちらこちらから温泉が湧いていました。

いよいよ明日から師走。
早いものですね。
インフルエンザが流行りそう
ご自愛ください。

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# by sakakibara-onsen | 2008-11-30 14:02 | 吾作
深紅に燃える
もう紅葉の写真は控えよう
そう思っていたのですが
やっぱ、きれいだよ〜ん。

青空に誘われて紅葉ハンティング。
といっても、家から一歩出れば秋がいっぱい。
貝石山のふもとで赤だけのモミジ(?)
貝石山の崖とのコントラストがまたいい。
いま一番のスポット。
今日明日、榊原温泉へお越しになった方々は
ほんと、よかったねー。

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# by sakakibara-onsen | 2008-11-29 16:31 | 吾作