カテゴリ:吾作のものしり箱( 133 )
物語は8年前にさかのぼります
榊原温泉で冬のイベントを考えようと、当時話題になっていた「お雛さま」に取り組んだのです。
「二見のお雛さま」を視察に行ってその見事さに刺激を受けました。
次に津市内の「大門のお雛さま」も大先輩で、たくさんの雛人形を見せていただきました。
「榊原温泉もされるのでしたら雛人形をプレゼントしますよ」と嬉しい提案がありました。
ただもらうのではなく、榊原に伝わるお嫁入りを再現して「お雛さまのお輿入れ」でいただこうと準備が始まりました。
大門からはご親族として実行委員の方にも来ていただいて・・・
平成22年2月7日に射山神社で滞りなく挙式を済ませ「榊原温泉のお雛さま」がスタートすることになったのです。

神湯館の清原亭を中宿として、輿に乗ったお雛さまは道中伊勢音頭の歌を先頭に嫁入り行列は射山神社境内に入ります。
小学生の巫女の手でお雛さまは拝殿へ。
中では両家の親族が揃い宮司による神式で始まりました。
お雛さま、内裏さまの三三九度の盃は「高砂」が歌われる中、両家の付き添いがお手伝い、媒酌人は旅館組合長ご夫妻がつとめられました。
厳かな挙式が終わると参集殿で雛人形に囲まれて、甘酒での祝宴が続きました。
以下、そのときの写真です。
翌年からは、このお雛さまの御前で記念婚式が行われているのです。

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by sakakibara-onsen | 2018-02-07 06:00 | 吾作のものしり箱
行者講の先達の碑
榊原の安子谷の道路沿いに行者講で大峯山への正大先達(しょうだいせんだつ)を50回された記念碑があります。
今でも行者講を続けている垣内(集落)もありますが、大峯山参りはほとんどの行者講で50年も前には途絶えたようです。
男の子は成人儀礼の一つとして16歳前後に、大峰山へ参ることで一人前の男性として認められるいうことでした。
大峯山の「西の覗き」と呼ばれる絶壁から、命綱を体に縛り、顔から吊るされ覗ける仏像に手を合わせ、先人達の「親に孝行をするか」などの問いかけに、「はい!」と答えるまで吊るされ続けるという過酷なものでした。
忘れられていく先達さんをいつまでも伝えてくれる碑ですね。
大正二年五月建之と刻まれていました。

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by sakakibara-onsen | 2018-01-10 06:00 | 吾作のものしり箱
山の神は里人の神様
七日正月の今日、まだ夜が明けきらぬころに当番が火を点けることから山の神の神事は始まります。
それぞれの集落でほぼ同じ時間に始まるため、その神事は同じようだけど少しずつ違います。
でも基本は同じ、火を焚き人は集い、正月2日に持ち寄った木の鍵で善の綱を切って山の神様を山から呼び出して一緒に餅を食う。
山の神様は二体一対の夫婦神で、この日は木の股で男体女体が祭られるのも共通しています。
先ほどからパチパチと火が燃える音がしています。

(写真は過去のものを使いました)
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by sakakibara-onsen | 2018-01-07 06:00 | 吾作のものしり箱
善助さんを探そう
善助さんとは伊賀出身の榊原温泉の復興功労者、田中善助翁です。
先日、ブログ「不易庵」の執筆者・I室さんが榊原での善助さんを調べに来られ、ご一緒させていただきました。
善助さんは温泉復興のシンボル旅館「神湯館」のオーナーとして晩年を過ごされました。
当時の神湯館は金閣寺を模した大浴場があり、その屋根には鳳凰が羽ばたいていました。
それは現在「温泉保養館「湯の瀬」の浴場屋根にありますよ」とご案内しました。
また館内には立体的に彫り上げた善助翁の額もあり、写真を撮らせて戴きました。
額の下部には「榊原温泉復興功労者 田中善助翁像 三重県上野市出身 安政5年ー昭和21年」が記載されてました。

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by sakakibara-onsen | 2017-12-25 06:00 | 吾作のものしり箱
こんな穴はもう掘りたくない
さてこの穴は何でしょう?
昨日のブログ「榊原温泉復興祭」よりは新しい、昭和20年の戦時中にそれぞれの家庭で作った防空壕跡です。
防空壕とはシェルター(避難壕)の一種で空襲のときに避難するため、地中に掘った穴のこと。縦穴と横穴がありました。
平和とはほど遠い時代の遺物です。
でも穴の中は温度が一定に保たれるため、おイモなど囲って重宝したとは平和になってからの笑い話です。

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by sakakibara-onsen | 2017-12-21 06:00 | 吾作のものしり箱
半寿を迎えた榊原温泉
半寿とは傘寿の次の年、八十一を縦に書いて一を十の横棒に並べると「半」と言うことだそうです。
榊原村が温泉で村おこしが行われたのが昭和11年、1936年です。
榊原温泉復興祭は81年前の今日、12月20日でした。
ただ温泉だけでなく貝石山に展望台、ふもとには写真のような大浴場を配し眺めのよい環境が出来ました。
大浴場は京都の金閣寺、家族風呂には三十三間堂を模した建物を川沿いに建て、榊原温泉が観光地としてスタートしたのです。
また現在の近鉄大阪線の榊原温泉口駅から温泉バスが通る道路も出来、これが現在の県道亀山白山線です。
村中が温泉復興に湧いて、西の金剛峰、東の並松から「温泉復興バンバンザイ」を歌いながら旗行列が続きました。
当時のパンフレットを見ると神湯館が1泊3円から7円、榊原舘は2円から3円と表示されています。
ここで忘れてはならない田中善助翁の存在です。
復興20年を記念して射山神社境内に「温泉復興功労者・田中善助翁」の顕彰碑が建立されています。

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by sakakibara-onsen | 2017-12-20 06:00 | 吾作のものしり箱
コチの谷の名所は大滝小滝
昨日に続いてコチの谷を上流に向かって歩いていくと大滝小滝が楽しめます。
大滝には滝壺に大蛇がいて、滝壺を汚すと大蛇が怒り大雨を降らして汚れを流す言い伝えから、雨乞いが行われていました。
大滝から歩いて5分ぐらい下ったところに、ひっそりと小滝があります。
ここには大滝の大蛇の恋人「姫蛇」がいたそうですよ。
大滝の大蛇は度を超した大雨を降らしたとき、姫蛇共々自分も流されて唐戸淵(貝石山のふもと)にたどり着いて、恋の明神「射山神社」で姫蛇と結ばれたとさ。めでたしめでたし・・・

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b0145296_1338113.jpg大滝
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b0145296_13383889.jpg小滝
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by sakakibara-onsen | 2017-07-14 06:00 | 吾作のものしり箱
「榊原の古代米ロール」また快挙
今日は七夕、夜7時30分から射山神社で七夕コンサートがありますよ。
晴れるといいですね。さて・・・・
全国菓子大博覧会は日本の地方博覧会のひとつで、全国菓子工業組合連合会主催の日本最大の菓子業界の展示会です。
今年は伊勢市のサンアリーナで4月21日〜5月14日に開催された「お伊勢さん菓子博2017」でにぎわいましたね。
毎回この博覧会で品評会が行われ、前回の広島大会では榊原の古代米を使ったロールケーキが金賞をもらいました。
今回は金賞をはるかに超えた「食料産業局長賞」を戴きました。
出品されたケーキ屋さんは「金賞は博覧会からもらった賞で宣伝できたけど、今回の賞は店内以外での宣伝は控えてくださいと言われ黙っていました」とか。
正直店主さんですが、すでにインターネットで閲覧できます。
「第27回全国菓子大博覧会受賞一覧」
でご確認ください。
おめでとう!!「榊原の古代米ロール」

b0145296_1035378.jpgこれは前回
b0145296_10355010.jpgこれは今回
b0145296_1036391.jpg旅館の売店で
b0145296_10362412.jpgよく売れます
b0145296_11594429.jpg榊原の古代米
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by sakakibara-onsen | 2017-07-07 06:00 | 吾作のものしり箱
神ノ木が茂る榊原
昔々、神代の時代の昔話その2です。

壱志郡(いちしごおり)の北に帯状に広がる「ななくりの郷」、その西は布引山が南北に延び伊賀と伊勢を分けています。
伊勢国、五十鈴川沿いに聖地を求め、天皇の祖先アマテラスオオミカミを神宮としてお祀りしたのはヤマトヒメでした。
大和国にある都からは遠く神宮の近くに斎宮を置き、斎王が天皇の代わりに伊勢神宮に仕えました。
斎宮(さいくう)とは斎王の住居と斎王に仕えた役人・女官らがいる斎宮寮とで構成されています。
斎王は天皇が即位すると、卜定(ぼくじょう:亀の甲羅や動物の骨などを使った占によって選出)によって未婚の内親王(天皇の皇女)から選ばれ、天皇の代わりに伊勢神宮に仕えたのです。
斎王は天皇が譲位したり崩御したりすると、その任が解かれ都に戻るのです。
継体天皇が即位されたのは1500年ほど昔、西暦507年で、当然斎王も交代します。
継体天皇の皇女、荳角媛(ササゲヒメ)が斎王になられ、斎宮に向かわれました。
都から伊勢の神宮への道は、ヤマトタケルも通っている笠取山越えで伊勢に入るのです。
荳角媛も「ああ、ここが伊勢の入り口でごじゃるかえ」と、カリキドで足を止められ「榊」が群生するつやつやした葉をなでながら「これが神の木なのじゃ」とお即きの人たちに教えられていました。
さらに道を下り湯山に湧く「ななくりの湯」にお着きになり、射山神社にお詣りをしてお湯で禊(みそぎ)をされました。
神宮に向かわれるときの慣わしとしての湯ごりです。
荳角媛の若い未婚の肌は「ななくりの湯」で身もお肌もますます綺麗になって、斎宮に入られました。

さてそれから・・・
神宮に使う「榊」がない。
あってもカリキドや湯ごりをした辺りに自生する「榊」は見つかりません。
そこで斎王に仕える役人の物部(もののべ)伊勢小田連(いせおだむらじ)に使いを出させ、この土地まで「榊」を採集に来られました。
持てるだけたくさん榊の枝を取り、それを射山神社境内にある湧き水に一夜浸して、翌朝神宮に向かいました。
荳角媛はたいへん満足され、それ以来毎年この地で榊を調達されてきました。
古い昔は土地の地名もなく、ただ「ななくり」とは聞かされていたけど、「ななくり」の西側だから「上村=かみむら」と呼んでいました。
でも斎宮や神宮では「榊が原」と呼んでいたようで、この地名が地元に伝わってきたのは500年も600年も経ってからのことでした。
ですから清少納言は枕草子で、榊原の湯とは言わず「ななくりの湯」という古い温泉名を使ったのでしょう。
神ノ木が茂る榊原、いい村の名ですね。
伊勢の神宮と深い関係のある榊原です。

このお話は地元に伝わる地名伝説です、
この伝説を後世に伝えようと、毎年2月12日にこの地の「榊」を伊勢の神宮に奉納しています。(写真)

ー神ノ木が茂る榊原・終ー

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by sakakibara-onsen | 2017-06-06 06:00 | 吾作のものしり箱
あの山は笠取じゃ
昔々、神代の時代の昔話です。

ヤマトタケルは第12代景行天皇の子として誕生しました。
幼名を小碓命(おうすのみこと)といい、16才のとき父・景行天皇は九州の熊襲(くまそ)を平定(へいてい=敵や賊を討ち平らげる)するように命じました。
熊襲征伐した小碓命は倭建命(ヤマトタケル)と名乗るようになりました。

ヤマトタケルは休む間もなく父の命を受け、次は東国の平定へ向かうことになりました。
父は、東国の12か国(伊勢、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武蔵、総、常陸、陸奥)が従わないので平定するようヤマトタケルに命じたのです。
出発前、ヤマトタケルは伊勢にいる叔母の倭比売(ヤマトヒメ:景行天皇の同母妹)から,須佐之男命(スサノオノミコト)が出雲で倒したヤマタノオロチの尾から出てきたとされる天照大神(アマテラスオオミカミ)に献上した天叢雲(あめのむらくも)の剣を受け取りました。

仕事を終え、大和を目指して歩き続けるヤマトタケルでしたが、体力は衰え,「わが足三重の匂(まか)りなして、いと疲れたり」と語りました。このことからこの地を三重と呼んだのですね。
ヤマトタケルの東征は三重県である伊勢国を出発して三重に戻ったのです。

さて、これからが榊原に伝わるヤマトタケルノミコトと笠取山のお話です。

東征の出発に当たり、ヤマトタケルは伊勢にいる叔母の倭比売(ヤマトヒメ)に会いに行くのですが、ヤマトヒメは斎宮(いつきのみや)のトップである斎王です。
そしてヤマトタケルはアマテラスをお祀(まつ)りする神宮へ行くのですから、伊勢国に入った「ななくりの湯」で禊(みそぎ)をして神宮に向かいます。

ヤマトタケルは景行天皇の宮(日代宮:ひしろのみや-奈良県桜井市)から東に進み、伊賀を越え布引の山(青山高原)を越えると伊勢国。
この古道は榊原の一番西の集落「カリキド」に「やまみち・いがごえ」の道標が建つように、倭の都から伊勢への主要道路でした。

ヤマトタケルは神宮に向かうときの慣わし通り、布引の山を越え「カリキド」で伊勢に入り「ななくりの湯」で湯ごりをするのですが、ここで不覚を取ったのです。
熊襲(くまそ)を征伐したヤマトタケルとて敵がいるはずもない布引山で、伊勢の海を望みながら笠の紐を緩め、ほっと汗をぬぐっていた一瞬の隙を突かれたのです。
西から吹き上げる風に、かぶっていた笠を吹き飛ばされたのです。
あっという間に笠は山中に消えていきました。

笠を取られたヤマトタケルは布引山を下り、集落に出ました。
地蔵堂の広場でたき火をしていた地元の衆に出会い
「やあ皆の衆、ここは伊勢じゃのう」と声をかけると
『ここはカリキドやぞえ』
「そうじゃったのう、仮の木戸、伊勢の入り口じゃ」
ちょっと休ませてもらうぞ、とヤマトタケルは輪の中に割り込みました。
『どっからおいなしたんや』と聞かれると
「ヤマトじゃ、ずーっと西の方じゃ」
『そんに遠いとっから笠もかぶらんとござったんかい』
「かぶっとったさ、でも山の上で取られたんじゃ」
『奥山には天狗さんがござるからのう』
「そうでないんじゃ、風じゃ、風」
『風と斬り合いでもさんしたんかいな』
「いや、恥ずかしい話じゃが、笠の紐を緩めたとたん、風がぴゅーと吹いて笠を取られてしもうたんじゃ。あの山は笠取じゃ」
それから布引山の北側の山を「笠取山」(写真)と呼ぶようになったそうです。

ヤマトタケルはカリキドの地蔵堂から1里半ほど下ったところに湧く、「ななくりの湯」で湯ごりをしました。
湯ごりとは温泉で禊(みそぎ)をすることで、都の人たちにとっては大切な温泉でした。
都人は、神宮にお参りする禊に欠かせない温泉だからと、温泉の神オオナムチとスクナヒコナの2柱の神様を祀り、「湯山神社」として源泉の近くに祠(ほこら)を作り村人に管理を依頼されました。
ヤマトタケルは村人に「この神社は、湯山神社じゃよ」と教えると
村人は「イヤマジンジャか、温泉のイゲで見え隠れしとる」と、ユヤマをイヤマとしか言えなかったのです、土地の訛(なま)りです。
だから地元では射山神社と呼んでいます。

ヤマトタケルはここから3里、雲出川の手前の物部神社(もののべじんじゃ=別名:仮の宮)で足を休め、川を渡り斎宮へ向かわれたと伝わります。

後は、ヤマトヒメさまとお会いされ、渡された剣を持って東征に向かわれたというお話です。

ーあの山は笠取じゃ・終ー

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by sakakibara-onsen | 2017-06-05 06:00 | 吾作のものしり箱