カテゴリ:吾作のものしり箱( 125 )
神ノ木が茂る榊原
昔々、神代の時代の昔話その2です。

壱志郡(いちしごおり)の北に帯状に広がる「ななくりの郷」、その西は布引山が南北に延び伊賀と伊勢を分けています。
伊勢国、五十鈴川沿いに聖地を求め、天皇の祖先アマテラスオオミカミを神宮としてお祀りしたのはヤマトヒメでした。
大和国にある都からは遠く神宮の近くに斎宮を置き、斎王が天皇の代わりに伊勢神宮に仕えました。
斎宮(さいくう)とは斎王の住居と斎王に仕えた役人・女官らがいる斎宮寮とで構成されています。
斎王は天皇が即位すると、卜定(ぼくじょう:亀の甲羅や動物の骨などを使った占によって選出)によって未婚の内親王(天皇の皇女)から選ばれ、天皇の代わりに伊勢神宮に仕えたのです。
斎王は天皇が譲位したり崩御したりすると、その任が解かれ都に戻るのです。
継体天皇が即位されたのは1500年ほど昔、西暦507年で、当然斎王も交代します。
継体天皇の皇女、荳角媛(ササゲヒメ)が斎王になられ、斎宮に向かわれました。
都から伊勢の神宮への道は、ヤマトタケルも通っている笠取山越えで伊勢に入るのです。
荳角媛も「ああ、ここが伊勢の入り口でごじゃるかえ」と、カリキドで足を止められ「榊」が群生するつやつやした葉をなでながら「これが神の木なのじゃ」とお即きの人たちに教えられていました。
さらに道を下り湯山に湧く「ななくりの湯」にお着きになり、射山神社にお詣りをしてお湯で禊(みそぎ)をされました。
神宮に向かわれるときの慣わしとしての湯ごりです。
荳角媛の若い未婚の肌は「ななくりの湯」で身もお肌もますます綺麗になって、斎宮に入られました。

さてそれから・・・
神宮に使う「榊」がない。
あってもカリキドや湯ごりをした辺りに自生する「榊」は見つかりません。
そこで斎王に仕える役人の物部(もののべ)伊勢小田連(いせおだむらじ)に使いを出させ、この土地まで「榊」を採集に来られました。
持てるだけたくさん榊の枝を取り、それを射山神社境内にある湧き水に一夜浸して、翌朝神宮に向かいました。
荳角媛はたいへん満足され、それ以来毎年この地で榊を調達されてきました。
古い昔は土地の地名もなく、ただ「ななくり」とは聞かされていたけど、「ななくり」の西側だから「上村=かみむら」と呼んでいました。
でも斎宮や神宮では「榊が原」と呼んでいたようで、この地名が地元に伝わってきたのは500年も600年も経ってからのことでした。
ですから清少納言は枕草子で、榊原の湯とは言わず「ななくりの湯」という古い温泉名を使ったのでしょう。
神ノ木が茂る榊原、いい村の名ですね。
伊勢の神宮と深い関係のある榊原です。

このお話は地元に伝わる地名伝説です、
この伝説を後世に伝えようと、毎年2月12日にこの地の「榊」を伊勢の神宮に奉納しています。(写真)

ー神ノ木が茂る榊原・終ー

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by sakakibara-onsen | 2017-06-06 06:00 | 吾作のものしり箱
あの山は笠取じゃ
昔々、神代の時代の昔話です。

ヤマトタケルは第12代景行天皇の子として誕生しました。
幼名を小碓命(おうすのみこと)といい、16才のとき父・景行天皇は九州の熊襲(くまそ)を平定(へいてい=敵や賊を討ち平らげる)するように命じました。
熊襲征伐した小碓命は倭建命(ヤマトタケル)と名乗るようになりました。

ヤマトタケルは休む間もなく父の命を受け、次は東国の平定へ向かうことになりました。
父は、東国の12か国(伊勢、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武蔵、総、常陸、陸奥)が従わないので平定するようヤマトタケルに命じたのです。
出発前、ヤマトタケルは伊勢にいる叔母の倭比売(ヤマトヒメ:景行天皇の同母妹)から,須佐之男命(スサノオノミコト)が出雲で倒したヤマタノオロチの尾から出てきたとされる天照大神(アマテラスオオミカミ)に献上した天叢雲(あめのむらくも)の剣を受け取りました。

仕事を終え、大和を目指して歩き続けるヤマトタケルでしたが、体力は衰え,「わが足三重の匂(まか)りなして、いと疲れたり」と語りました。このことからこの地を三重と呼んだのですね。
ヤマトタケルの東征は三重県である伊勢国を出発して三重に戻ったのです。

さて、これからが榊原に伝わるヤマトタケルノミコトと笠取山のお話です。

東征の出発に当たり、ヤマトタケルは伊勢にいる叔母の倭比売(ヤマトヒメ)に会いに行くのですが、ヤマトヒメは斎宮(いつきのみや)のトップである斎王です。
そしてヤマトタケルはアマテラスをお祀(まつ)りする神宮へ行くのですから、伊勢国に入った「ななくりの湯」で禊(みそぎ)をして神宮に向かいます。

ヤマトタケルは景行天皇の宮(日代宮:ひしろのみや-奈良県桜井市)から東に進み、伊賀を越え布引の山(青山高原)を越えると伊勢国。
この古道は榊原の一番西の集落「カリキド」に「やまみち・いがごえ」の道標が建つように、倭の都から伊勢への主要道路でした。

ヤマトタケルは神宮に向かうときの慣わし通り、布引の山を越え「カリキド」で伊勢に入り「ななくりの湯」で湯ごりをするのですが、ここで不覚を取ったのです。
熊襲(くまそ)を征伐したヤマトタケルとて敵がいるはずもない布引山で、伊勢の海を望みながら笠の紐を緩め、ほっと汗をぬぐっていた一瞬の隙を突かれたのです。
西から吹き上げる風に、かぶっていた笠を吹き飛ばされたのです。
あっという間に笠は山中に消えていきました。

笠を取られたヤマトタケルは布引山を下り、集落に出ました。
地蔵堂の広場でたき火をしていた地元の衆に出会い
「やあ皆の衆、ここは伊勢じゃのう」と声をかけると
『ここはカリキドやぞえ』
「そうじゃったのう、仮の木戸、伊勢の入り口じゃ」
ちょっと休ませてもらうぞ、とヤマトタケルは輪の中に割り込みました。
『どっからおいなしたんや』と聞かれると
「ヤマトじゃ、ずーっと西の方じゃ」
『そんに遠いとっから笠もかぶらんとござったんかい』
「かぶっとったさ、でも山の上で取られたんじゃ」
『奥山には天狗さんがござるからのう』
「そうでないんじゃ、風じゃ、風」
『風と斬り合いでもさんしたんかいな』
「いや、恥ずかしい話じゃが、笠の紐を緩めたとたん、風がぴゅーと吹いて笠を取られてしもうたんじゃ。あの山は笠取じゃ」
それから布引山の北側の山を「笠取山」(写真)と呼ぶようになったそうです。

ヤマトタケルはカリキドの地蔵堂から1里半ほど下ったところに湧く、「ななくりの湯」で湯ごりをしました。
湯ごりとは温泉で禊(みそぎ)をすることで、都の人たちにとっては大切な温泉でした。
都人は、神宮にお参りする禊に欠かせない温泉だからと、温泉の神オオナムチとスクナヒコナの2柱の神様を祀り、「湯山神社」として源泉の近くに祠(ほこら)を作り村人に管理を依頼されました。
ヤマトタケルは村人に「この神社は、湯山神社じゃよ」と教えると
村人は「イヤマジンジャか、温泉のイゲで見え隠れしとる」と、ユヤマをイヤマとしか言えなかったのです、土地の訛(なま)りです。
だから地元では射山神社と呼んでいます。

ヤマトタケルはここから3里、雲出川の手前の物部神社(もののべじんじゃ=別名:仮の宮)で足を休め、川を渡り斎宮へ向かわれたと伝わります。

後は、ヤマトヒメさまとお会いされ、渡された剣を持って東征に向かわれたというお話です。

ーあの山は笠取じゃ・終ー

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by sakakibara-onsen | 2017-06-05 06:00 | 吾作のものしり箱
憲法音頭ご存じですか?
今日は憲法記念日、日本国憲法が施行された日で、それから70年経つのですね。
また歌を・・・

おどりおどろか チョンホイナ
 あの子に この子
 月もまんまる 笑い顔・・・


ご存じですか?この歌。
別名「チョンホイ音頭」と言って、昭和22年の日本国憲法施行を記念して憲法普及会が選定した音頭で、作詞・サトウハチロー、作曲・中山晋平です。
新憲法を定着させようと70年前のこの日に発表され、当時の小学生は教えてもらったはずです。
歳が分かりますが、吾作も夏祭りなどで歌いながら踊った記憶があります。
この少し前に当用漢字が告示され、「当用漢字早わかり」を6円で買いました。
よく見て下さい、製本されず新聞大の1枚の印刷物を切って紙縒(こより)で綴じたものです。
あれから70年・・・きみまろさんは生まれてなかった。

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by sakakibara-onsen | 2017-05-03 06:00 | 吾作のものしり箱
榊を神宮へ10回目の献枝祭
1500年前、継体天皇の皇女ササゲヒメが斎王になられたとき、この地の榊を神宮で使われるようになって地名が「榊原」となったという伝説に基づいて、10年前から献枝祭の名で神宮へ「榊の奉納」を行っています。
昨日は記念すべき献枝祭が滞りなく行われました。
その模様を写真でお伝えします。

b0145296_1928129.jpg出発前の榊
b0145296_19281233.jpg外宮参道へ
b0145296_19282349.jpg行列が続く
b0145296_19283357.jpg榊原温泉や
b0145296_19284354.jpgざくざく
b0145296_1928568.jpgざくざく
b0145296_1929946.jpgざくざく
b0145296_19291949.jpg神楽殿へ
b0145296_19292910.jpg神職に引継
b0145296_19294089.jpg神前へ
b0145296_19295111.jpg外宮参拝
b0145296_193035.jpgご一行集合
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by sakakibara-onsen | 2017-02-13 06:00 | 吾作のものしり箱
昨日は「みゆ」が盛大に
昨日は恋の明神「射山神社」で湯立神事「みゆ」が盛大に行われました。
前夜の雪が残って朝は一面の雪景色、そのため道中を案じてか昨年よりちょっと参詣者は少なかったようです。
ま、そのぶん「みゆ」をたくさん浴びることが出来ました。(笑)
巫女たちが榊原温泉の源泉を運ぶ献湯祭から始まり、お祓いを済ませた源泉は境内の鉄釜に注がれ、すでに沸かされている長命水と混ぜ合わされます。
その中に白米と塩少々が加えられ、さらに沸騰させ、その熱湯を宮司が両の手に持つクマザサの束にしっかり含ませ、「無病息災」「家内安全」など祈願のことばと共に参拝者に振りかけます。
終わると使われたクマザサを一本ずつもらってわが家の神棚へ。
そして楽しい餅つきです。
出来たてのお餅は美味しい。
今年は12臼のお餅が参加者のお腹に入りました。
そして参集殿には雛飾りも出来上がっています。

b0145296_1919119.jpgみゆ
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b0145296_19384448.jpg無病息災!
b0145296_19391145.jpg家内安全!
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b0145296_19415560.jpg餅つき
b0145296_19435670.jpgおいしい
b0145296_19441965.jpg餅女子会
b0145296_19444043.jpgお雛さま
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by sakakibara-onsen | 2017-02-12 06:00 | 吾作のものしり箱
雨乞いを伝える踊り歌
前日のブログに榊原第一区のかんこ踊りを小学校で披露したことを掲載しました。
そのとき踊られたのは第一区の「神礼」踊りでした。
榊原では昔、水飢饉の年は雨がなく水不足で稲が育たない、そんなとき榊原川の上流「河内谷(こちだに)」へ行って大滝の滝壺に石や木切れを投げ込んで雨乞いをしたことが伝えられます。
大滝には大蛇が住み、滝壺を汚されると大雨を降らし汚物を流してしまうという伝説を信じ、榊原だけではなく下流の大鳥村(津市大鳥町)の人たちも雨乞いをされたそうです。
この踊り歌には、この伝説が組み入れられています。
文化11年(1814)に長谷川儀蔵さんが作られた第一区独特の踊りです。

● 布引山の半腹に
  千筋に落ちる河内(こち)の谷 
    岩を落とせし山彦の
  万里の外に響くなり 
    竜宮これに通(かよ)わじて
 〈返し〉 竜宮これに通わじて
  石木切り込むその時は 
    一転にわかにかき曇り
  四方にうるおう雨降りて

b0145296_10193369.jpg布引山遠景
b0145296_10195381.jpg河内谷の大滝
b0145296_1020436.jpgそれを踊る
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by sakakibara-onsen | 2017-01-20 06:00 | 吾作のものしり箱
榊原では朝から山の神
毎年正月7日は榊原各地で「山の神」行事が行われます。
これから始まりますので、終わってから写真掲載します。
            ・
            ・
            ・
b0145296_926635.jpg火を焚く
b0145296_9261793.jpg人々集う
b0145296_9262841.jpgワラをなう
b0145296_926396.jpg善の綱完成
b0145296_9265171.jpgカギで引く
b0145296_927213.jpg山の神降臨
b0145296_9271325.jpg共に餅を食う
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by sakakibara-onsen | 2017-01-07 06:00 | 吾作のものしり箱
風車の搬入の想い出画像
平成10年(1998)年12月23日未明、当時のNKK(三重県津市)から国道165号を通り、青山高原の建設現場へ1基分の風車部品が運び込まれました。
国号165号は大三(白山町)の近鉄ガードが低いため通れず、農免道路・グリーン道路を通り、写真はその交差点(榊原町)です。
一つひとつの部品が大きいだけに、2車線を占領するほどの大型トレーラー7台に分けてパトカーの先導でゆっくりと輸送されました。
もう18年も経つのですねぇ。
風力発電には一般に年平均で秒速6m以上の風が吹く立地が適しているそうですが、青山高原の年間平均秒速は約7.1m、ばっちりです。
どんどん増えて、もう数えられない。
最後の写真は榊原から見える風車の一部です。

b0145296_162172.jpg巨大マスト
b0145296_1622882.jpg 同 
b0145296_1625352.jpg羽根25m長
b0145296_1641858.jpg今の風車
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by sakakibara-onsen | 2016-12-27 06:00 | 吾作のものしり箱
榊原の各地にある大日さん
榊原では牛の守護神として大日如来の信仰がり、大日講を作り「大日さん」として祀ってきました。
調べると主に西日本での信仰だそうです。
中ノ山にはお堂を造り大日さんを祀っています。
なんと屋根の瓦には菊の御紋章どんな謂われがあるんでしょうね。
お堂の中には牛の絵馬や牛のワラジが奉納されています。
昨日のブログの「まちあるきマップ」の左下です。
ワラジは見るだけですよ、触らないで。

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by sakakibara-onsen | 2016-12-25 06:00 | 吾作のものしり箱
ハナカケの大日さん
榊原2区のハナカケは、昔おばあさんに聞いた話では
「この辺り一帯に花が植えられていて、榊原のお殿様がお城から眺めたり、花を摘みにござった所やわ、そやでここを花掛けと言うよになったんや」
天王さんの祀られているところに、足だけ残っている常夜灯の石柱を見ると「文政六未十二月 花掛垣内」と刻まれており、南に面した穏やかな里です。
さて、大水で流れそうになったハナカケの大日さんは、今度は盗難にあってはならないと集会所に鎮座されています。
お詣りをさせていただくと、ただ「大日」の文字が刻まれただけではなく、立派なお姿を拝顔できました。
この集会所はいつもは錠が掛かっていますが、花掛垣内の組頭さんにお願いしてお詣りできます。

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by sakakibara-onsen | 2016-12-05 06:00 | 吾作のものしり箱