なんだろう?と思っていた射山神社駐車場の物体は昔の「湯治場の東門跡」を示すものでした。
写真2枚目は向こう側から見たもので、ここから射山神社までが湯治場だったようです。
道路右側には坂口米穀店の建物がありますね。
昔から「ぼたんや」という屋号で、旅籠だったと聞かされていました。
以前にも坂口さんに「いつごろ宿屋してたの?」と聞いたことがありますが、明治以降そんな記録はないということでした。
榊原の湯治場は津藩の管理下にあり厳しい入場管理がされていたそうで、利用できない人たちが泊まった宿屋「ぼたんや」だったのでしょう。
東門を表す腕木戸の横に説明板が立てられています。(写真3枚目4枚目)