十年を夜昼わけて五年ずつ 酒と煙草で更に半ぶん 半峰食山人六十五歳
半峰さんは昭和36年に67歳でその生涯を閉じられました。
本当は67歳は半分だったのかも。
昭和の初めころ上京して半峰さん宅で居候していた久居の(故)西田馨さんからお聞きした話では...
全国の中学校を回り、エッチングの指導する半峰さんの助手をしていたころだったそうですが、画商をやりながらも自分の絵は売ったこともなく、絵は距離を置いて眺めているが、もっと身近にみれないものか。
と、よくつぶやいておられたという。
それが疎開先の榊原で「はがき絵」を始められ、もしかすると半峰さんの求める「もっと身近」な絵が「はがき絵」だったのかもしれません。
また東京へ戻られなかったのは、東京にいると日本がみれなくと思われたのではないでしょうか。
こんな狂歌がありました。
日本一の富士山 登ってみればただの石ころ
眺めていてこそ、富士山の美しさが見える。
東京(日本)を眺めるには榊原がよかったのではないでしょうか。
美人の奥さんとも別れ、多くの仲間とも別れてでも榊原がよかった。
榊原ばんざいです。
写真は東京で活躍されておられたころの、美男子の半峰さんです。