上簇は脱糞ずみの蚕ばかり 人間どもは残糞で逝く 半峰
(上簇=成熟した蚕を、繭を作らせるため、蔟(まぶし)に移し入れること)
これは西田半峰画伯が晩年過ごされた八知山(白雲荘の近く)にこの狂歌が刻まれ、ひっそりと建立されています。
ひっそりといっても建立に関わった人たちはすごいんですよ。
碑の裏面には武者小路実篤、原安三郎のほか梅原龍三郎など数々の著名人の名が友人として刻まれています。
さて半峰さんですが(西田画伯と言わなければならないのですが、榊原では半峰さんです。ごめんなさい)
大正3年の文部省美術展(現在の日展)入選を機に画伯の道を歩み、わが国で画商第1号として美術界の名乗りを上げ、中国で学んだエッチングの技法を日本で普及させた偉いお方です。
その半峰さんが昭和20年の東京大空襲で八知山に疎開されました。
榊原での半峰さんのことは明日のブログとします。